すっかり満悦した古屋敷の宿を出た我々が向かったのは、四万十川沿いの大正町。
正直あまりぱっとしない印象のこの町に宿泊した理由は、「第1回四万十川桜マラソン」である。むろん俺自身が走ったわけではないのだが、Sさんのマラソンを応援するという口実で来たってわけだ。
初めて見る四万十川は、噂に聞いていた通りの雄大なものだった。広い高知県をゆったりと曲がりくねって流れ、太平洋に流れ込む四万十川は実に堂々としていて、まるで山水
画のような風景を作り出している。ちょうど桜の満開が終わりかけた頃で、大河に沿って桜の下を42キロ走るというのは、東京の街中なんかを走るよりははるかに壮快で気分がよいのであろうと思われる。

大正市に着くと、Sさんのご両親も車で京都から駆け付けてきていた。大切な娘が初めて42キロも走ろうというのだから、俺が父親ならやっぱり心配で飛んできているだろう (^▽^)
本当はここ大正町でもきれいな農家民宿に泊まりたくて予約を入れていたはずなのだが、マラソンのため予約客が多く、民宿の人が「俺たち全員がひとつの家を占有できるように(客に相談せず)気を利かせて」、本来の農家民宿ではない親戚の空きの一軒家を丸ごと貸してくれたのだった。
合理的に考えた結果、広い場所を良かれと思ってあてがってくれたのだから、農家民宿を求めて都会から出かけてきたといった我々の気持ちが通じていなかったとしても、親切心として感謝すべきなのかもしれない。最初こそみんな若干ブーたれたが、一軒家もそれほど悪くはなかったよ (^^;)ゞ
この家のオーナーは町内会のお偉方のようで、表裏に7つも役職のある名刺を渡された。彼に、この辺りで郷土料理がおいしい店を紹介して欲しいと頼むと、
「焼肉でいい?」
「いや、郷土料理が食べたいんですけど。。。」
「う~ん、難しいな。そういうのはあまりないし、時間ももう遅いし。この辺りのレストランはだいたい5時には閉まるよ。」
「えええっ !!!」
時計を見ると、もう夕方6時近い。お偉方に付き添ってもらいながら、まだ空いているとおぼしき店を目指して予約を入れに行く。いや、もう、予約というレベルではない。店が閉まる前に、「7時過ぎに7人で来るから、それまでなんとか店を開けていて欲しい」とお願いしに伺うわけだ。
なんとかありついた食事は、旬のカツオのたたきなど思いののほか美味であったが、それにしてもさびれた寂しい町だ。お偉方いわく、
「ここは、限界集落や」
翌日はいよいよマラソンの開催日。朝6時には突然、町中にスピーカー音が鳴り響く。
「こ~ち~ら~は、し~ま~ん~と~が~わ~ マ~ラ~ソ~ン た~い~か~い じっ~こ~う~い~い~ん~か~い で~~す。ほ~ん~じ~つ。。。。」
すごいゆっくりした口調で、当たり前のことを繰り返す。全員目が覚め、音が鳴り止んでやっとまた眠りにつくと、今度は6時半からラジオ体操の音楽だ。前日の宿のある村でも同じことだった。同行したフランス人T君は、この騒音公害を体験して、もう信じられないという顔ですっかりカルチャーショックになってしまった (f*^_^)
Sさんたちは先に起き、気を引き締めてマラソンに出かけていったが、俺とAちゃんとT君は9時過ぎまでゆっくりと寝てからのっそり起きて、中間点まで応援に行った。
沿道には、地元のおばあちゃんや子供(若い人はもともと少ない)が応援に集まっている。900人ほどの選手がつらそうな顔つきで次々に走りすぎるたびに、「頑張れ~!」とみんなで声をかけているのが微笑ましかった。

これは第1回大会。地元起こしへの期待も絶大なイベントだったのだと思う。前日が大雨で心配されたが、当日はマラソンに最適な曇り空で、雨は一滴も降らなかった。よかったね~ ☆.。.:*・°
沿道からだけじゃなく、人によっては田んぼの中から農機具に寄りかかって応援するなど思い思いの自然体で、地元の人のくったくのない笑顔が眩しかった。
そして、Sさんも見事に完走。おめでとう!!! 芝生に倒れこんでから念願のビールにありつき、その後はもちろん車の中で爆睡。。。(v_v)

ところでSさんのマラソン参加にはもうひとつ別の意味があった。ラオスの中学校のために奨学金を募ることだ(「ラオス・モンチャオ中学校育英基金」という呼称)。お父さんのプロジェクトを支える形で頑張っているSさんだけど、汗をかいて献身しただけあって 『マラソン走行1キロあたり100円』というコミットメント以上に世界中から寄付が集まっているようだった。http://www5e.biglobe.ne.jp/~higeji-/sayaka/kikin-seturitu.pdf
ところで3日間だけ一緒だった間に、Sさんのお父さんと車中で3時間くらいお話を伺うことができたのが貴重だった。Sさんのお母さんは別車両に乗っていて、俺と一緒だったAちゃんは後部座席で爆睡。というわけで、暗い高知の夜道を走る逃げ場のない車の中でお父様を質問攻めにしてしまったわけだ (* v v)。
教育者であったお父様は、ご退職された後にJICA(国際協力機構)に再就職。ほとんどの人がJICAを単に「カネ稼ぎのための再就職先」とみなし、任期中途上国で援助活動をしても終わればそれきりノータッチなのに対し、お父様は例外的にラオスで培ったネットワークを生かして、任期満了後も自己資金と自己責任で活動を続けていらっしゃるという。現地へも年に何度も行かれている。
お父様がJICAでなさっていたのは、ラオスの教育改善プロジェクトだ。
教育水準を引き上げるためには現地教師のレベルとモチベーションアップが不可欠なのだが、それは実際とても困難なのだと言う。貧しくてインフラも教育制度もなく、少しでも文字が書ければもう「先生」として村人からあがめられる社会。そんな中で教師は現状に安住し、今以上の知識やスキルが必要とは思ってくれない。
だから信じ難いことに、JICAプロジェクトから交通費のみならす参加報酬まで支払って、現地教師に「スキルアップ講習に参加していただくよう呼びかける」のだという。現地教師はカネ目当てで講習に来るだけなので講習会で学ぶ意欲などないのだが、こういう活動を粘り強く続けていく中で10人に1人くらい、危機意識が芽生えて現状を変えることに積極的になる教師が現れる。彼らがまた村々に散って子供に教えていく中で、ラオスの教育水準も徐々に上がっていくだろうというわけだ。
。。。とっても気の長い話だけれど、いつか思いは通じるだろう。こういう草の根の努力を続けていかれているSさんのお父様には本当に頭が下がった。
お父様いわく、(Sさんのマラソンの関わりのある)ラオスの奨学金支給というのも、一筋縄にはいかないのだという。奨学金を優秀で貧しい学生の手に行き渡らせる過程で人の手を得るたびに、一部または全部がどこへともなく消えていくからだ。政府役人、協力者、学校の先生など誰であれ、チャンスがあってお金をかすめない人はいないらしく、彼らに罪の意識もない。奨学金のためのお金を集めることもさりとて、賢明に正しい用途に使えるように手配することはもっとはるかに難しいのだろう。
Sさんやお父様はかつてラオスの学校建設も行っていて、集めた募金で無事に学校が建ったという。そこで、俺が一番気になるポイントを質問してみた。
「奨学金も学校建設など寄付金を現地でどうやって管理して正しく使わせるのですか?」
「それはね、(前述の)講習活動で目覚めてくれた、協力者の教師たちの力を借りるんです。完全に信頼できる人たちですから。」
なるほど、そうか!! 腑に落ちた。まず現地に入って教師たちの意識を「啓蒙する」。10人に1人だけど先取の気性を学び、こんなんじゃだめだ、国のレベルアップに頑張らなきゃって立ち上がる。彼らはお父様に全幅の信頼を寄せ、奨学金や学校建設資金が正しく使われるように尽力する。役人や実力者たちの平然たる賄賂や巻上げに反対の声を上げて活動することで、社会も公正化していく。それが教育水準の上昇につながる。
Sさんとお父様のプロジェクトの本質が、「心と信念の力で社会をよくするために、現地の人の心の持ち方を少しずつでも変えさせていく」ということだと理解できたときは、俺は今までの何倍も協力したい気持ちになった。(しょせん大したことではないが...)
Sさんとはずいぶん前からいい友人だったし、エネルギッシュで社会貢献的なSさんからはラオスのこともいろいろ聞いていた。でも、ラオスに学校を建てると当初聞いたときには、当時は正直多少、えっ??と思ったものだ。
途上国に箱物(特に学校)を建てて手柄にする有名人やCSRとかの宣伝にする会社は数多い。でもほとんどは形だけで気持ちなんぞ入ってない。Sさんは違うとは思っていたけれど、「なぜ、どこが違うのか?」、がそれほど明白にわからなかったからだ。
でも今回お父様の話を聞くことができて、人脈の作り方、活かし方、それを通じた社会貢献の仕方という全体が、(俺なんかが言える立場じゃないけど)とても納得いくものだったし、「これなら確かに役に立つ」と確信できるようになったのだ。
寄付する側の納得とか理解とか気持ちというのは、活動全体の中ですごく大事な部分だと思う。「何の活動をするか」だけじゃなくて、「なぜそれが可能で有効なのか(=プロジェクトの真のバリュー・ドライバーはどこにあるのか)」をしっかり共有するってことだ。
大事寄付をなるべく多く集め、「寄付の真意」に近い形で使い、本当に役に立つという好循環は、資金の出し手⇒プロジェクト主催者⇒現地関係者⇒援助される側、という気持ちがつながって初めて効果が出るんだと思うから。
Sさんはもうすっかり回復していろいろエネルギッシュに活動しているようだが、心から応援してます (^-^)
次回はいよいよ高知の旅最終回、感動のフィナーレ!?が待っていた。。。
最近のコメント