ついに出会えた日月譚

二度目の正直で、ついに台湾八景の一つである日月譚(にちげつたん)Riyuatang6に到達できたよ (y^^y)

今回はAちゃんのお母さんと妹Gさんと娘のMちゃん、それにAちゃんのおRiyuatang3母さん一緒に1泊2日の「プチ家族旅行」をしたのだが、俺は念願の日月Riyuatang2 を見て、もう一目ぼれ

美しい山々には薄っすらと雲がかかり、湖面はグリーンとブルーにキラキラと輝いている。一見南国の島のビーチのようでもあるが、もっと厳かで神秘的なたたずまいなのだ。もう、夢見心地でうっとりするしかない風景だった。湖水も温かく、遊覧船が浮かんでいて、とっても気持ちがいい~

Riyuatang1

Riyuatang5そして結婚撮影をしているカップルも2組… 

しばらくゆっくりしてから、湖畔の蒋介石の別荘地に建てられたというアマンリゾートの六つ星ホテル、ザ・ラルーへ移動してお茶。大陸からやってきて台湾を支配した蒋介石は、この湖に惚れて、一番いい場所に別荘を作らせたとか。その跡地、つまりベストロケーションにあるホテルだから、景観はそりゃもう最高だ。

こういう「高級な」場所だと台湾では食事も洋食系になることが多いが、ここの英国式アフタヌーンRiyuatang7・ティーRiyuatang9は、さすがになかRiyuatang8なかのレベルだっRiyuatang10たよ (^¬^)

お腹が満足したあとは、台湾の高級アッサムティーの工場へ。

台湾では中国茶しか作ってないと思われがちだが、実はアッサムティーも作っている。ここの工場は山の中にあり、周りの切Riyuatang15り立ったRiyuatang16Riyuatang17斜面にはRiyuatang11お茶が植えられていて、新鮮でハイグレードな紅茶が手に入る環境があるのだ。

工場といっても葉を集めて乾かしもみ込んで発酵させるシンプルなもので、天井の高い優雅な建築である。工場内は新鮮な茶葉の香りでいっぱいだ。

アッサムティーを買ったあとは、宿泊地のある竹山(これが地名)へ。ここは名の通りいい竹が取れることが有名で、日本統治時代にこれに目をつけた日本人植民者がこRiyuatang18の辺り一帯を占拠したので、地元民と争いになったらしい。

Gさんがネットで見つけたここの民宿は、ユニークなものだった。竹山を分け入った山奥にあるのだが、今は失われつつある「伝統的な台湾建築」を若者が中心に頑張って再現したものであるという。当然、竹もふんだんに使われ、とても調和の取れていて落ち着いた気分にさせてくれる。

Riyuatang21

Riyuatang20

Riyuatang25

ここには食べ物屋なんてないので、宿の人が麓から弁当を用意してくれていた。中身は中華式で鶏肉や酢野菜が中心であるが、これがなかなか旨い。それに弁当箱が凝っていて、とってもきれいだ。

この辺りに住んでいるというGさんの恩師が宿まで来て、我々に3時間も(!!)レクチャーしてくれたのだが、彼は竹を使った道具・建築を指導したりして竹に対する尊敬の気持ちをはぐくませることを仕事にしているという立派な人だ。中国語なので、Aちゃんが訳してくれた部分以外ほとんどわからなかったけど、「竹には一本一本魂があって、風が吹Riyuatang23Riyuatang24くとそれをRiyuatang31表現するRiyuatang30んだ」という部分は心に響いた。

見所の多い台湾。次回の家族旅行は、いずこへ!?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

浄土真宗の守護人

第二次大戦後、台湾は50年間の日本統治時代が終わり、中国からやってきた国民党の人たちに「突然の如く」支配されることになった。

精粋の台湾人から見たら日本人も国民党の大陸中国人もどっちも本来は「外来人」だから、それぞれから同化政策を強いられて苦労したわけだ。でも、欧米諸国のそれよりも相当に徹底していた日本による長年の同化政策の生んだ社会構造が、この突然の事変で瞬間に消滅したはずはない。

戦後日本語を話すことも読むことも厳禁され日本への渡航もほとんど許可されない時代が今からわずか10数年前まであったわけだけれど、台湾人の知識人に刷り込まれた大和魂や日本本土との連帯意識は、ちゃんと根を張って今でも生き続けているのだ。

これを目の当たりにする機会があった。台湾で行ったAちゃんの友人Yさんの実家。台湾人のYさんはベルリンとパリに住んでおり、ベルリンでは俺たちの家から歩いて3分の距離に住んでいた。かわいい1歳半の女の子のNちゃんがおり、ブログにもたびたび登場している。

今回はYさんが帰郷しているタイミングに俺たちもちょうど台湾入りしていたので、Yさんの台北の実家にお邪魔することになった。

Yさんの実家は浄土真宗のお寺。ご存知、日本の親鸞が始めた宗派だ。でも、このご両親は精粋の台湾人である。

台北市北部の、温泉地で有名な北投(ベイトウ)を見下ろす丘の上にある。車で何度も何度もターンしながらかなり上っていくと、頂上にポツンと見えてくるのだ。道すがら頂上まで、他に建物は全くないからかなり孤立した場所であるが、元々「寺」なのだからそれも不思議ではない。

車を降りて5匹の犬(当然、鎖などない)に出迎えられた後は、Yさんのご両親と一緒にお留守番していたNちゃんと半年振りの再会! ずいぶん大きくなったねえ~ 当時補助つきでやっと歩いていたNちゃんは、今では走り回っているんだから。

Yuching2

Yuching7ちょっと俺たちのことを忘れていたのか最初はシャイにしていたNちゃんだが、30秒後には満面の元気に遊びだした。それはもう、元気ハツラツ、笑顔バクハツで  (v^ー^)

Yuching6

さてこのお寺、台北市を見下ろす景観も素晴らしいが、建物や庭も美しい。庭にはマンゴやバナナが成り、柚子のような台湾の柑橘(写真のもの、すっぱいミカンのような味がする)が実る亜熱帯性は確かに「異国」らしいけれど、建物などは日本時代そのものの姿で現存していると言っていい。これも、Yさんのお父さんがきれいに修理しながら大事に使っている証拠だ。

Yuching5

Yuching1Yさんのお父さんは、日本統治時代に日本人によって建てられたこの寺を、30年ほど前に縁があって譲り受けることになったのだという。戦後30年もたってからのことだ。

生きた寺なのだから、亡くなった方の墓標などもあるし、譲り受ける以上はそれらをしっかり守り抜かねばならない。最初は若干重荷に感じたこの責務は、やがて喜びに変わっていったという。

日本語も全くわからなかったお父さんであるが、頑張って勉強し、総本山のある京都の本願寺で2年間ほど修行して、ちゃんと「資格」を取得したという。当時の写真を見せてくれたが、まじめで実直そうな僧の顔だった。墓参の人だけじゃなく、今でも毎年日本から必ず交流に来るお坊さんもいるんだって。そう、ここは日本の浄土真宗が今でもしっかりと息づく場所なのだ。

ちなみに今の台湾人は仏教徒も多いけど、それは道教と一体化したり漢民族的な要素が入ったもので、いわゆる日本の浄土真宗の信者はあまり残っていない。でも台湾には、Yさんのお父さんのような方が目立たないけどあちこちにいて、日本統治時代からの伝統を静かに守り、魂を入れ続けているのだ。これを目の当たりにした感動は大きかった。

仏教だけじゃない、他のいろんな分野でも似たようなことがある。それが台湾なのだ。

Yuching3

Yuchingg2広いお寺の中は障子と畳で統一されており、子供が走り回るには絶好のコンディション。俺も(喜んで)Nちゃんの相手をして走り回ったんだけど、とっても気持ちいい~ もちろんAちゃんにも抱きついて、もう大変な興奮!

はしYuchinggg5ゃぎすぎたNちゃんは、俺たちが帰ってからバタンキューで爆睡したらしい 笑

俺たちは数日後にYさんとNちゃんにまた会ったのだが、そのときはYさんが行きつけの漢方薬薬局に連れて行ってくれた。店内の調度品は、きれいYuchinggg7な台湾式だ。

路地裏にあるこの漢方医は評判がいいらしく、お客さんが絶えない。Aちゃんの体をまず「診察」してから、体に合う薬を調合してくれる。

それまで1ヶ月くらい継続して、風邪気味のような変な症状があったのだが、飲み始めた今ではすっかり元気になったよ! Yさん、ありがとう!

Yuchinggg6

Yuchinggg8つかの間の再会だったけど、ベルリンに戻っても元気でね~ (  ^ ^)/~~~

| | コメント (0) | トラックバック (0)

台中の農園訪問

さて、農園訪問のとりあえずの締めくくりは、台中(台湾中部)の有機農園

先日1週間ほど台湾に行ったときに、Aちゃんのお母さんにお願いして連れて行ってもらったのだNoenfood6Noenfood12Noenfood11

ここは観光農園ではなく、Aちゃんのお母さんの大親友の夫婦が退職後の趣味でやっている。とはいえ、山の中の広い土地に道路を敷いて家を建て(このピンクの家)いろんな作物を育てているので、趣味というにはかなり大掛かりなものだ。

この日は大雨だったのだが、おじさんが傘と長靴を貸してくれて早速2人で裏の農園へ。Aちゃんやお母さん、それに妹は… 笑っておじさん宅でお留守番 *^^*

6月はじめでも毎日32度を越す暑さでかつ湿気も高い台湾中部では、植生は東京とも北海道ともかなり異なっていて面白い。

まずは細長いまだら模様のスイカ。雑草も生え放題の地面に野放しでごろごろしている。土地が広いってのは、いいねえ~ そう、今はスイカの時期なのだ!

Noenfood2

キャベツやナスなども大自然の中で育てている。キャベツは大きくて虫に食われ放題になっていたけど、そんなの気にしない、気にしない! Noenfood4ナスは日Noenfood3本のものと違って細長く、より柔らかい。

こちらはまだ小さいヒョウタンと、キューリのようなもの。確かに、キューリは本当はこんな風に網棚を作って育てたほうが楽だ。俺の農地では狭くてそんなことできないかNoenfood9ら、一部のキュウリは地面を這いつくばNoenfood10って変色してしまっているから。。。

台湾はもともとフルーツ天国であるが、この農園でも丘に沿ってニョキニョキとバナナの木が生えている。もちろんバナナの木なんか一切ケアする必要がないから、日本に輸出されているものみたいにまだ緑のうちに収穫するのではなく、ちゃんと黄色くなったらNoenfood5取って食べるわけだ。当然甘さなんかが全然違う。

あと、ここの農園にはなかったけど今は梨の季節でもあり、Aちゃん出身地Noenfoodd2の東勢で有名Noenfoodd1フルーツ市場では大量の梨が取引されていたよ。

おじさんに農園を見せてもらった後は家に案内され、お決まりの採れたて果物が出てきた。やったぜ!

この本物の台湾バナナを見よ! 日本のスーパーにある大型台湾バナナとは違う小さなタイプの方が濃くてねっとりしており味わいが深いのだ。ぜいたくに黄色い部分だけいNoenfood14ただく 

マンゴも2種類あり、小さいほうの種類は品種改良前の原種で、地元でしかNoenfood15流通していない。実は少ないものの、甘酸っぱく思い出にNoenfood13残る原種っぽい味で俺は大好きだ。

さらには、パイナップルにプラム、ああっ なんと旨いことか!! 日本に帰っては食べられない貴重で新鮮な果物をお腹いっぱいいただいてから、おじさんにお礼を言って農園を後にしたのであった。

また食べに来ま~す  ヾヾ ^_^

| | コメント (0) | トラックバック (0)

収穫祭

少し前のことになるが、北海道から帰ってから昔の同僚たちを集めて収穫祭(!?)のホームパーティーをやったよ。

成城学園の農園では最近かなり収穫できている。5月2日に始めたというのに、植物の生育は、なんとも早い早い w(°o°)w

特に天気が良かった週なんかは20センチくらい伸びていることもあり、現在ではきゅうりは身長以上の高さにつるを巻き、トマトも1メートルくらいになっているよ。

現在収穫中なのはレタスときゅうりとししとう、それにバジル。特に葉レタスは外側からちぎっていくとまた生えてくるのだが、毎週毎週大きなビニール袋に2つくらいも収穫でき、翌週行くとまた同じくらいの量ができている。すごいよねえ~

Tabemono1

こちらはバジルとイカを辛味風に仕上げたもの。かなりピリ辛だが、おいしかったよ!

やっぱり自分で作った野菜というのは全然違う。愛情も一応こもっているし(#^.^#) 形も色も不ぞろいだけど、買ってきた野菜のような水気でごまかした感じがなく、野菜本来のくせの強い香りと味がそのまま残っているのだ。

先日北海道に行ったときに有機農園で契約してきたアスパラ季節便がちょうどTabemono2パーティー直前に届いたので、そちらもAちゃんがいろいろ頑張って料理してくれた。

まずは赤井川村で食べたのと同じ形式で、白アスパラとグリーンアスパラと自家製ベーコンを温泉卵でいただく。う~ん、ジューシーで素晴らしい感触!!  Aちゃん、このために皿を買っちゃったみたいだが、まっしょうがないか (f^Tabemono3^)

もちろん、白アスパラを網でグリルしたり、グリーンアスパラTabemono6Tabemono5塩コショウで炒めても素晴らしいことは言うまでもない。

ホームパーティーは本来タイ風というテーマだったはずなのだが、残りのアスパラはホタテと一緒にTabemono4炒めたりしてお出しした。

タイ風ということでパイナップルを入れた焼き飯をパイナップルの皮に盛って出したり、奮闘してテーブルいっぱいの料理を作っていたよ。カレーが若干辛かったりといったことはあったけど、概してとても好評なディナーとなっTabemono8たよ。Tabemono10

今回パーティーに来たメンバーは大半が2年前の俺たちのバリ島の結婚式に来た人たちなので、結婚式のときの写真をスライドショーでみたりしながら、なつかしの話題で盛り上がった。

Tabemono12

俺たちはパーティーの翌日に台湾へ出発予定だったから、余った食事は半強制的に全員でお持ち帰り (*^_^*)

取れすぎた新鮮自家製野菜も5つの小袋に分けて入れ、女性陣中心にちゃんと持ち帰って引き続き堪能してもらった(はず)のであった。

また、遊びに来てね~!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親戚との新しい関係

親戚や家族との心理的距離は、人によっOtaruuu34て大きく異なるもOtaruu1のだ。

生まれてから一番感受性の豊かな時期に育った環境はその人の人格を決定すると言われているけれど、俺も30代になるまではその意味を自分なりに振り返ることもしなかった。

大家族出身のAちゃんと付き合い始めさらには結婚してからというもの、自分の家族との関わりを見直したいという衝動に駆られることが度々あった。大勢の家族メンバー同士が自然に集いながら、そして助け合いながら生きているのを見て、「こっちの方がずっと人間らしいじゃん!」という当然のことに気づかされたからである。

思い返せば俺の家族との関係は決して理想的な形じゃなかった。ここで詳しくは述べないが、長年の錯綜した思いがお互いの間に疑心暗鬼を根付かせ、互いになかなか100%は信用できない関係に低空安定してしまっている。

親兄弟とのやりとりの数自体が少ない方だというのではなく、むしろ今の日本では多い範疇に入ると思う。親孝行だって人並みにはやっている。でも、メールや訪問の頻度と心理的な距離は必ずしも比例しない。心理的につっかかるものがあり心から全部を開示できない用心深さが拭い切れないだけに、逆に良心の呵責があり、せめて表面だけでも交信数を増やそうと意識してきたのかもしれないとさえ思う。

Aちゃんの家族たちのくったくのない笑顔とあけっぴろげな「情報開示」を見るたびに、いいなあって思ってきたけれど、問題あれば解決あり。変えなきゃと思ってきたことを俺が旗振り役になって実行する時が、いよいよやってきたようだ。

北海道に帰省している間には慌しくいろいろな人に会ったけど、俺的には2つ画期的ないいことがあった。

一つは従妹(Mちゃん)夫婦と俺たち夫婦で食事したこと。小さい頃は親戚の家に集まってはよく一緒に遊んだ仲だったけど、社会人になってからしばらく疎遠になってしまっていた。時折親同士含めて会うことはあっても、心を開いて話せなかったのだ。

今回は、ここ2年でお互い結婚したことを期に、札幌で警察官をしている旦那さんに初対面することも兼ねて、小樽郊外のスープカレー屋で4人「水入らず」での食事が実Otaruuu29現した

なんと新鮮で刺激的な体験だったことだろう。 みんなで遊ぶのが楽しみで仕方がなかった、血のつながったいとこの一人。今やお互い成長して自立した大人として、しかも双方伴侶を連れてテーブルにつくってことは!  これからはこの「新世代ネットワーク」を拡充していこうと心に決めたのであった。

もうひとつの「画期的ないいこと」は、親戚を小樽で「発見」したことだ。もう70才になるおじHさんは母方の祖母のお兄さんの息子であり、れっきとした血のつながった親戚である。俺の母とは子供の頃よく遊んでいたらしい。

19歳で小樽を飛び出して、日本人移民船でカリブ海のドミニカ共和国へ移民。3年間ほどコーヒー農園で奴隷のような生活をしたあと、これでは死ぬと思って脱走したという。それから商店経営などをして政府と関係を築きながら徐々に財を成し、40年後に複数のコーヒー農園のオーナーとして帰国。10年ほど前に奥さんと一緒に小樽に喫茶店を構えた。

このHさんは現在の複数事業を運営するなど活動的で、地元では新聞によく載っているほどで話には聞くのだが、俺を含めて俺の直のいとこたちの誰も会ったことがなかった

今回、話していると母親からまたHさんの話が出たので、「じゃあ行ってみよう」と意を決して、母とAちゃんを連れて訪問してみたのだ。

狭い小樽の町、実家から歩いても30分強の場所にあるカフェは、一歩足を踏み入れると異国情緒が漂う。Hさんが出てくるとうちの母を見るなり、

「おおっ お前か!! 近くに住んでいるらしいけど、全然顔見せないじゃないか!」

このHおじさんは親切に時間をとっていろいろ話してくれたのだが、苦労してきているだけでなく、世界中に絡んでビジネスを展開しているスケールの大きい話が聞けて俺は夢中になってしまった。Aちゃんもこういう話は大好きだ。次のアポがあって2時間くらいしかいれなかったけど、あまりに面白かったので小樽を出る前にもう一度時間をOtaruuu17とってもらって訪問した。これを聞いたいとこのMちゃんも、早速行ってみたという。

カフェを運営しているのは奥さんだが、素晴らしいのはコーヒーの味だ。5つの濃さ(苦味)から選べるようになっているが、どれも炒りたてで薫り高く、旨いことは言うまでもない。自分で現役で経営しているコーヒー農園から豆を下ろしているカフェが、日本にいくつあるだろうか?

水瓶座だとか細木数子の水星人やらとかで、家族の縁が薄いと言われる俺。これからはそんな言い訳せず、どんどん親戚との輪を広げていきたいと思っているよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小樽で「旬のうまいもの」

以前にも書いたことがあるけれど、最近帰省する度に、生まれ故郷の小樽で旬の本当に旨いものをこれまでいかに自分が知らなかったか痛感させられる。

短い滞在期間中、友達と母親を連れて計2度も行った、市内から離れた祝津の青塚食堂。観光客もわざわざバスで来るようなことも最近は発生しているが、水族館下の浜辺に位置する素朴な食堂である。小樽市内の祝津漁港や高島漁港で揚がった新鮮な海鮮を食べさせるのがポイントだ。

今回訪れたのは5月終わりということで、複数の海産物の旬であった。

まずは何といってもウニ。ムラサキウニとバフンウニの2種類があり、ムラサキの方は塩水に浸っているのをそのまま、色の濃いバフンの方は若干味が薄いので醤油を軽くかけるのがいい。俺はムラサキウニに方が好きだが、どちらもとろけるような味の絶品で、今でも時々寝る前にあの味を思い出してしまうほどだ。

Otaru12

Otaru14

Aちゃんだけじゃなく俺も初めて目にする、全身そのままの新鮮なシャコ。頭としっぽの両方を手に持って身にかじりつく。高校時代の友達Nさんとは久しぶりの再会で話すこともいっぱいあるのだが、食べ物があまりに感動的に旨くて「話にならOtaru13ない」 。(~Q~)。 

ついでコリコリした食感のツブ貝に、大粒のホタテ。ホタテのバター焼きは見ごたえもあり、貝柱と一体で味わえることから、目とOtaru15舌の両Otaru16方が満たされるのが好きだ。

旬のホタテやタコはもちろん刺身でもいただける。小樽市Otaru25内の飲み屋で食べたこの刺身は素晴らしいものだった。

ここのシェフは腕がいいので有名で、ノウハウを得ようとよく訪問者が来るという。ゴボウを単に薄切りにしさっと揚げて塩をまぶしただけのこの一品に、俺は絶句してしまった。なんとも言えないこの自然体のハーモニー… ゴボウがこんなに味わい深い野菜だったなんて知らなかった! 素材の味を素朴なやり方で引き出すことは、一番難しいことなのかもしれOtaru26ない。

初耳で名前を忘れたが、このタイとカジカの中間のような珍しい旬魚をあんOtaru17かけでいただくと、そのプリプリ感がまた絶妙!

番外編では、高校時代の美術の先生に連れて行ってもらった手打ちそばは、厳しOtaru23いご主人であるらしかったが、相当に美味であった。

次回最終回は小樽で感じた新たな風、「親戚との新たな関係」についてで~す!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

赤井川村の農園探訪

さて、農園ブームの勢いで… 次は北海道のアスパラOtaru2農園を訪問!

地元小樽から峠を越えた真裏にあたる赤井川村は、車でわずか30分程度の距離。キロロリゾートで有名なこの土地に、俺はなんと一度も行ったことがなかったのだ。

マイブームの農園にはまっている俺は、ここぞとばかりに下調べをした結果、今回Aちゃんを連れて5日間ほど帰省した際に母親を連れてレンタカーで行ってみることにしたのだ。

北海道の気候はドイツ北部に似ており、今はアスパラの旬。ドイツよりもやや寒いため旬の時期も2週間ほど遅いように感じる。

まずは有機農園のコロボックル村へ。涼しい盆地にある農園は濃い緑に囲まれて美しく、近づくと平飼いの鶏がえさを期待して寄ってくる。写真を撮っていると、働いているおOtaruuu1じさんが、

Otaru1

「向こうの一番端に紫色のアスパラがあるから、行ってごらん。ボキッと採って食べると甘いよ!

お言葉に甘えて行ってみると、グリーンアスパラに続いて、初めて見る紫のアスパラ畑が展開していた。

3人で畑に入り、「立派なの」を選んで食べてみると、芯はしっかりしていてみずみずしいアスパラだが、まるでフルーツのように甘~い w(°o°)w  最近、四国産のフルーツトマトというのが出ているでしょ、あれと同じような食感だ。

Otaru3

Otaruuu7Otaru5Otaru4興奮した母は何本も食べ始めるが… 全部採り尽くさないうちに無事、試食終了!

その後は、農園横の小レストランで採り立ての有機栽培アスパラ料理を堪能した。

自家製の温泉卵に浸し、これまた自家製のベーコンを添えていただくと、う~ん、口の中でおいしさがとろOtaru6けるような、素晴らしい味だ。母もAちゃんも、もちろん笑顔だったよ (^¬^)

Otaru7家製卵を使ったデザートのプリンもまろやかな味で、言うことなし。

これ以上のぜいたくが世の中にあるだろうかと自問自答したくなるような上機嫌にさせられて、農園を後にした。

年4回の野菜の宅配もお願いしてきたから、来月初めにはアスパラや筍が家でも堪能できそう!

続いて、近くの有名な牧場である山中牧場を訪問。遅咲きのチューリップが咲き誇り、小高い丘の前にカラフルな牛舎が立ち並んでいる様は、まOtaru9るでドOtaru8イツ南部にあるOtaru10牧場のような雰囲気だ。

牛舎で巨大な牛に遭遇した後は、お目当てのソフトクリーム! 牛乳味をそのままソフトクリームにしたようなまろやかな味で、これを目指して車でやってくる人も大勢いたよ。旨いけど、気温13度Otaru11の中で食すのは若干きつかったなあ… 

さらに、買ってきた山中牧場の牛乳をあとで飲むと、濃厚な本来の牛乳の味がして、本当にうまかったよ U(^^;;)

農場巡りはまだまだ続く予感…

さて次回は、小樽で味わった旬の海鮮特集で~す! 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

菜園開始!

快適な東京暮らしに欠けているものの一つと言えば、それはHatake2自然

自然には2通りあるだろう。山や緑地などの「ネイチャー」と、自然体で人間らしく生きられる生活・職場環境である「ナチュラル」であるが、これはどちらも非常に満たされていないと言っていい。

意識的に時間を取って行動しない限り、緑に触れ合うことも一切なければ、自然に体を動かして疲れることもない

自然に触れ合おうと思いたっても、電車や車で1時間以上どの方向に走っても都会の軒は途切れることなく、延々と果てしなく連なるばかり。

東京に多い、空調の効いたオフィスで会議をしパソコンに向かって何か書類や計算シートを作るようなバーチャルな仕事は、一日中立ちっぱなしや手足を動かして夕方には全身疲労するような肉体労働よりも、得てして報酬が高いのだ。そうして得た現金収入を手にスポーツジムに行き、テレビを見ながら回転ベルトの上を走る・・・

・・・本来の人間のあるべき姿からは、どう考えてもかけ離れているよね。

最近いろいろな友人と話している中で、東京で「ネイチャー」と「ナチュラル」を満たすことは、考えているほど難しくないことに気がついた。それは畑をやることだ。

園芸ではなく、菜園であることがキーポイントだろう。自分の食料を自分(達)で確保するという、人間の原点に少しでも近づくことができるからだ。園芸のようなただの趣味とは趣旨が違う。

実はドイツ駐在時期にも、菜園を始めようと思って調べはじめ、ベルリン郊外の広大な自然保護区内の農業用地1.5ヘクタールを購入しようと入札参加直前まで行ったのだが、駐在期間があと1年弱しかなかったことからあきらめた経緯がある。

旧東ドイツの土地公社が継続的に売り出している物件の一つであったが、周りは深い森林で、大形の灰色の野兎がピョンピョンと跳ねまわる魅力的な土地だった。ここに井戸を掘って給水するための業者見積もりまで取っていたのだが、実現に至らなかったのだ。

東京に戻ってから思い立って俺が始めた場所は、自宅から自転車で25分の成城学園前。成城学園前の駅前という場所柄、ベルリンで考えた15000㎡から6㎡にスケールダウンしたものの、毎日ケアできるわけでもない初心者にはちょうど手ごろな大きさだし、来れない時には水やりなどのサービスもある。

Hatake1

ただ、車一台分の駐車スペースにもならないこの6㎡を密に使うとできる野菜の量というのHatake7は、想像以上であるらしい。

この場所は小田急線の成城学園前駅周辺を5年前に地下化した際、地上部分の一部を農地に転用したもので、農地の下には電車が走っている。3年前から開業していて基本的によく手入れされているため、土が非常に肥沃でやわらかいことに驚かされる。

5月初めのゴールデンウイークは、夏に収穫できる葉物などの植え付けの最終時期であることが幸いし、早速1区画を借りて肥料を混入し、全面に植え付けた

北海道の実家では中規模の庭と菜園があったので、子供の頃には、畑起こし、植え付け、水やりなどの手伝いをしていた。だから菜園の勝手は一応わかっているつもりだ

ただし東京の気候はかなり異なるので、植え付け時期が2ヶ月くらい早いし、植物の生育も早い。コンクリートジャングルの東京は特にそうらしい。

今回植えたのはHatake5トマト、ミニトマト、キューリ、ナス、ししとう、シHatake4ョウガ、レタス、チンゲン菜、枝豆など

農園の人に手伝ってもらって、まずはきれいに区画整理Hatake6Hatake8して足の踏み場を確保し、美的センス(!?)に配慮して植え付けた。

レタスは6月末くらいから、トマトなどは7月末くらいから採れる・・・はず。枯らさないように大事に育てるつもり。さてさてどうなることか、楽しみ! (*^-'*)>  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

土佐の珍道中 ~後編:感動のフィナーレ

高知の旅、最終Kochi53Kochi36回に待っていたフィナーレとは・・・

4泊の旅の最終回の宿は、Sさんが手配していなかったので、持っていった雑誌を見て適当にその場で決めたのだが、これが大当たりだったのだ

四万十から高知市方面に戻る途中の須崎から別れて内陸に入ること30分。がけ崩れが多いというくねくねした細い道を運転していくと現れるのは・・・ 木造でなつかしの、いにしえの学びやだ。

見たとたんみんな顔がほころび、思わずあっと言ってしまった。そのくらいに、レトロ感がKochi55漂う作りだ wKochi29(Kochi42°o°)w

廃校となった校舎を改造して宿泊施設にしたという、『森の巣箱』。高知県の優良プロジェクトに選ばれるほどの成功例で、他の自治体からの訪問も多いという。

杉などの林業でかつては栄えた美しい村であるが、ご多分にもれず都会に人が流出して人Kochi37口は減少する一方。

Kochi33Kochi34この立派な小学校が廃校になったのはたった25年前と聞くが、現在の村の人口は120人まで減っているから、衰退がいかに急速で継続的であることがわかる。

我々が到着すると、ジャージ姿の気さくなおじさんが声をかけてくれた。なんと『森の巣箱』の社長さん(いや、姿は校長先生・・・)だ。自らも廃校前にその学校を卒業された社長さんは、ずっと使われていなかった校舎を何とか生かせる道はないかと探り続け、高知県からプロジェクトとして認められて改修資金を確保、宿泊施設として数年前にオープンしたという。

結果は大成功! 社長さん自身も、 

「こんな辺鄙な村に全国からこんなに大勢の人が来てくれるとは思っていなかった」

と大変驚いたというが、村の人々にも相当な自信を与えたのだと思う。いいことだね!!

内部は小学校らしくかわいらしい雰囲気が保存されている。俺の北海道の小学校も当時木造だったのでなんだかなつかしいが、正直ここまできれいじゃなかったなあ (^_-)

Kochi26

Kochi27Kochi56その週の宿泊客は俺たちだけだったので、全校舎を独占 ρ( ^o^)b_♪ ・・・

・・・と思いきや、あれっ??

夕食の時間になり階下の食事場所に行くと、隣のテーブルで酒盛りをしている人たちがいて、それもだんだん数が増えていく。えっ???

そう、『森の巣箱』はただの旅館じゃなくて、地域の交流センターでもあるのだ。社長さんいわく、

「村の人は、宿泊客が来ると交流しようと集まってくるんだよ。」

なるほどね~ 小さな売店もあり、コンビニ的な機能も果たしている。小さな村ならではのアットホームさだ。

旬のかつおたたきなどもあり、夕食はとても充実していた。ママの味付けもいい。これで1泊2食Kochi38込みで一Kochi39人5,500円というのは、すごくお得感がある。

我々側はフランス人、香港系アメリカ人、台湾人(=Aちゃん)のいる〝国際チーム〟であることから、村の方たちの興味も湧いてきたらしく、いろんなことを聞いてくる。そのうちみんな打ち解け、互いに酒を注ぎあい、肩を抱き合い、カラオケも始まった。

社長は歓迎の印に、村の人が近所のカラオケ大会で貰ってきた紅白の餅を焼いてくれた。砂糖しょうゆでいただくのだ。

Kochi41

パリから着いたばかりのT君も、そこはフランス人らしい愛嬌とアドリブで人気者に。

酒の勢いもあり、めちゃめちゃ熱い雰囲気に・・・ 言葉が通じてないなんて、もはや誰も気にしていない f(^^;) 

村に8人しかいないという子供の一人である、14歳の女の子もやってきて、もうすぐオーストラリアに留学する予定だという。これで留学は大丈夫なのか!?と少々危ぶまれる英語でT君と会話にチャレンジ。別れ際にT君が(フランス人らしく)、

「最後にキスしていい?」

と聞くと、もちろん二つ返事でお互いに頬にディープなキスを (*^3(*-。-) 

「夜の校舎の玄関先」でというシチュエーションもなかなかオツであったが、その開いた玄関先からお母さんが見ていたというのが、めっちゃ笑えた。ハイ、大人の体験したね~

ところでこの晩はあまりに盛り上がったので、きこりの仕事をしている70才の方と社長が我々に、『記念植樹』を提案してくれた

「お客さんと盛り上がるといっても、いつもはここまでじゃないよ。今日は本当にいい思い出になったので、記念にぜひ植樹をさせてほしい。」

うれしかった。そこまでしてくれるなんて、何て心の温かい人たちだろう・・・ 

酒の勢いではなく本気だった。翌日朝8時半、きこりの方がモミジを2本持って来てくれた

「君たちに約束したけん、よろしくな」

そして我々は社長について校舎向かいの土手にあがり、社長が自分の畑から抜いて持って来てくれた桜の木1本とさっきのモミジ2本の計3本を、5人の名前Kochi45Kochi46と日Kochi50と共に植樹したのであった。

ここまでしてくれた村の人たちの気持ちを思ったとき、俺はこの地に必ず戻ってきてシンボルである木の成長を確かめようと決心したのだった。

来年のホタルの時期にはぜひ来たい。そして、社長さんやみんなに伝えるんだ。

「みなさん、ありがとう。ちゃんと戻ってきました」ってね ( *^-^) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

土佐の珍道中 ~中編

すっかり満悦した古屋敷の宿を出た我々が向かったのは、四万十川沿いの大正町。Kochiii4

正直あまりぱっとしない印象のこの町に宿泊した理由は、「第1回四万十川桜マラソン」である。むろん俺自身が走ったわけではないのだが、Sさんのマラソンを応援するという口実で来たってわけだ。

初めて見る四万十川は、噂に聞いていた通りの雄大なものだった。広い高知県をゆったりと曲がりくねって流れ、太平洋に流れ込む四万十川は実に堂々としていて、まるで山水Kochiii2画のような風景を作り出している。ちょうど桜の満開が終わりかけた頃で、大河に沿って桜の下を42キロ走るというのは、東京の街中なんかを走るよりははるかに壮快で気分がよいのであろうと思われる

Kochi23

大正市に着くと、Sさんのご両親も車で京都から駆け付けてきていた。大切な娘が初めて42キロも走ろうというのだから、俺が父親ならやっぱり心配で飛んできているだろう (^▽^)

本当はここ大正町でもきれいな農家民宿に泊まりたくて予約を入れていたはずなのだが、マラソンのため予約客が多く、民宿の人が「俺たち全員がひとつの家を占有できるように(客に相談せず)気を利かせて」、本来の農家民宿ではない親戚の空きの一軒家を丸ごと貸してくれたのだった。

合理的に考えた結果、広い場所を良かれと思ってあてがってくれたのだから、農家民宿を求めて都会から出かけてきたといった我々の気持ちが通じていなかったとしても、親切心として感謝すべきなのかもしれない。最初こそみんな若干ブーたれたが、一軒家もそれほど悪くはなかったよ (^^;)ゞ

この家のオーナーは町内会のお偉方のようで、表裏に7つも役職のある名刺を渡された。彼に、この辺りで郷土料理がおいしい店を紹介して欲しいと頼むと、

焼肉でいい?」

「いや、郷土料理が食べたいんですけど。。。」

「う~ん、難しいな。そういうのはあまりないし、時間ももう遅いし。この辺りのレストランはだいたい5時には閉まるよ。

「えええっ !!!」

時計を見ると、もう夕方6時近い。お偉方に付き添ってもらいながら、まだ空いているとおぼしき店を目指して予約を入れに行く。いや、もう、予約というレベルではない。店が閉まる前に、「7時過ぎに7人で来るから、それまでなんとか店を開けていて欲しい」とお願いしに伺うわけだ。

なんとかありついた食事は、旬のカツオのたたきなど思いののほか美味であったが、それにしてもさびれた寂しい町だ。お偉方いわく、

「ここは、限界集落や」

翌日はいよいよマラソンの開催日。朝6時には突然、町中にスピーカー音が鳴り響く

「こ~ち~ら~は、し~ま~ん~と~が~わ~ マ~ラ~ソ~ン た~い~か~い じっ~こ~う~い~い~ん~か~い で~~す。ほ~ん~じ~つ。。。。」

すごいゆっくりした口調で、当たり前のことを繰り返す。全員目が覚め、音が鳴り止んでやっとまた眠りにつくと、今度は6時半からラジオ体操の音楽だ。前日の宿のある村でも同じことだった。同行したフランス人T君は、この騒音公害を体験して、もう信じられないという顔ですっかりカルチャーショックになってしまった (f*^_^)

Sさんたちは先に起き、気を引き締めてマラソンに出かけていったが、俺とAちゃんとT君は9時過ぎまでゆっくりと寝てからのっそり起きて、中間点まで応援に行った。

沿道には、地元のおばあちゃんや子供(若い人はもともと少ない)が応援に集まっている。900人ほどの選手がつらそうな顔つきで次々に走りすぎるたびに、「頑張れ~!」とみんなで声をかけているのが微笑ましかった。

Kochi24

Kochiii1これは第1回大会。地元起こしへの期待も絶大なイベントだったのだと思う。前日が大雨で心配されたが、当日はマラソンに最適な曇り空で、雨は一滴も降らなかった。よかったね~ ☆.。.:*・°

沿道からだけじゃなく、人によっては田んぼの中から農機具に寄りかかって応援するなど思い思いの自然体で、地元の人のくったくのない笑顔が眩しかった。

そして、Sさんも見事に完走。おめでとう!!! 芝生に倒れこんでから念願のビールにありつき、その後はもちろん車の中で爆睡。。。(v_v)

Kochi25

ところでSさんのマラソン参加にはもうひとつ別の意味があった。ラオスの中学校のために奨学金を募ることだ(「ラオス・モンチャオ中学校育英基金」という呼称)。お父さんのプロジェクトを支える形で頑張っているSさんだけど、汗をかいて献身しただけあって 『マラソン走行1キロあたり100円』というコミットメント以上に世界中から寄付が集まっているようだった。http://www5e.biglobe.ne.jp/~higeji-/sayaka/kikin-seturitu.pdf

ところで3日間だけ一緒だった間に、Sさんのお父さんと車中で3時間くらいお話を伺うことができたのが貴重だった。Sさんのお母さんは別車両に乗っていて、俺と一緒だったAちゃんは後部座席で爆睡。というわけで、暗い高知の夜道を走る逃げ場のない車の中でお父様を質問攻めにしてしまったわけだ (* v v)。

教育者であったお父様は、ご退職された後にJICA(国際協力機構)に再就職。ほとんどの人がJICAを単に「カネ稼ぎのための再就職先」とみなし、任期中途上国で援助活動をしても終わればそれきりノータッチなのに対し、お父様は例外的にラオスで培ったネットワークを生かして、任期満了後も自己資金と自己責任で活動を続けていらっしゃるという。現地へも年に何度も行かれている。

お父様がJICAでなさっていたのは、ラオスの教育改善プロジェクトだ。

教育水準を引き上げるためには現地教師のレベルとモチベーションアップが不可欠なのだが、それは実際とても困難なのだと言う。貧しくてインフラも教育制度もなく、少しでも文字が書ければもう「先生」として村人からあがめられる社会。そんな中で教師は現状に安住し、今以上の知識やスキルが必要とは思ってくれない。

だから信じ難いことに、JICAプロジェクトから交通費のみならす参加報酬まで支払って、現地教師に「スキルアップ講習に参加していただくよう呼びかける」のだという。現地教師はカネ目当てで講習に来るだけなので講習会で学ぶ意欲などないのだが、こういう活動を粘り強く続けていく中で10人に1人くらい、危機意識が芽生えて現状を変えることに積極的になる教師が現れる。彼らがまた村々に散って子供に教えていく中で、ラオスの教育水準も徐々に上がっていくだろうというわけだ。

。。。とっても気の長い話だけれど、いつか思いは通じるだろう。こういう草の根の努力を続けていかれているSさんのお父様には本当に頭が下がった。

お父様いわく、(Sさんのマラソンの関わりのある)ラオスの奨学金支給というのも、一筋縄にはいかないのだという。奨学金を優秀で貧しい学生の手に行き渡らせる過程で人の手を得るたびに、一部または全部がどこへともなく消えていくからだ。政府役人、協力者、学校の先生など誰であれ、チャンスがあってお金をかすめない人はいないらしく、彼らに罪の意識もない。奨学金のためのお金を集めることもさりとて、賢明に正しい用途に使えるように手配することはもっとはるかに難しいのだろう。

Sさんやお父様はかつてラオスの学校建設も行っていて、集めた募金で無事に学校が建ったという。そこで、俺が一番気になるポイントを質問してみた。

「奨学金も学校建設など寄付金を現地でどうやって管理して正しく使わせるのですか?」

「それはね、(前述の)講習活動で目覚めてくれた、協力者の教師たちの力を借りるんです。完全に信頼できる人たちですから。」

なるほど、そうか!! 腑に落ちた。まず現地に入って教師たちの意識を「啓蒙する」。10人に1人だけど先取の気性を学び、こんなんじゃだめだ、国のレベルアップに頑張らなきゃって立ち上がる。彼らはお父様に全幅の信頼を寄せ、奨学金や学校建設資金が正しく使われるように尽力する。役人や実力者たちの平然たる賄賂や巻上げに反対の声を上げて活動することで、社会も公正化していく。それが教育水準の上昇につながる。

Sさんとお父様のプロジェクトの本質が、「心と信念の力で社会をよくするために、現地の人の心の持ち方を少しずつでも変えさせていく」ということだと理解できたときは、俺は今までの何倍も協力したい気持ちになった。(しょせん大したことではないが...)

Sさんとはずいぶん前からいい友人だったし、エネルギッシュで社会貢献的なSさんからはラオスのこともいろいろ聞いていた。でも、ラオスに学校を建てると当初聞いたときには、当時は正直多少、えっ??と思ったものだ。

途上国に箱物(特に学校)を建てて手柄にする有名人やCSRとかの宣伝にする会社は数多い。でもほとんどは形だけで気持ちなんぞ入ってない。Sさんは違うとは思っていたけれど、「なぜ、どこが違うのか?」、がそれほど明白にわからなかったからだ。

でも今回お父様の話を聞くことができて、人脈の作り方、活かし方、それを通じた社会貢献の仕方という全体が、(俺なんかが言える立場じゃないけど)とても納得いくものだったし、「これなら確かに役に立つ」と確信できるようになったのだ。

寄付する側の納得とか理解とか気持ちというのは、活動全体の中ですごく大事な部分だと思う。「何の活動をするか」だけじゃなくて、「なぜそれが可能で有効なのか(=プロジェクトの真のバリュー・ドライバーはどこにあるのか)」をしっかり共有するってことだ。

大事寄付をなるべく多く集め、「寄付の真意」に近い形で使い、本当に役に立つという好循環は、資金の出し手⇒プロジェクト主催者⇒現地関係者⇒援助される側、という気持ちがつながって初めて効果が出るんだと思うから。

Sさんはもうすっかり回復していろいろエネルギッシュに活動しているようだが、心から応援してます (^-^)

次回はいよいよ高知の旅最終回、感動のフィナーレ!?が待っていた。。。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«土佐の珍道中 ~前編