無料ブログはココログ

欧州の大寒波

しばし報道されているように、今欧州には大寒波が襲っている。

ハイデルベルクでも、日中でマイナス6-10度の日々が続いていおり、これには北海道人のはずの俺でもかなり堪える。家ではメインのバスルームの冷水が凍って使えなくなり、ゲストルームでシャワーを浴びざるを得なくなっている。聞くと大家さんの家でも一部凍結被害は出ているようだが、町では全般に何も支障なく日常が行われているようである。

北海道は雪も多く寒いと思われがちであるが、生まれ育った小樽ではマイナス10度になる日は数えるほどしかなく、それも夜間が中心であった。マイナス10度の夜に外出すると路面の雪がさらさらしていて、歩いても足跡もあまりつかず、まるでザラメのようにこぼれる。踏みしめるときのキュッキュッという音が快感であったのを覚えている。

それに比べ今年の欧州中部の寒波は、毎日が青空快晴で乾燥しており、雪は全くないし、霜も畑など以外ではあまり見かけない。天気がいいのに、とにかくただひたすら寒いのだ。

先週出張していたポーランドでは毎日さらに寒く、通勤の車の温度計はいつもマイナス12度~13度であった。車のエンジンがかかるのに時間はかかるし、後ろのトランクは凍り付いてなかなか開かない。

しかし、冬にマイナス20度になることに慣れているポーランドでは、報道によれば一部死者なども出ているとは言え、全般的にはこのくらいの寒波には万全の備えができている。あまり暖房設備らしきものは見当たらないのに、オフィスも工場内も非常にポカポカしている。トラックなどで移送中の製品が凍りつかないような措置も、きちんと取られている。

ポーランドでは、オフィスは18度、作業場は14度以上に保たなくてはならないという法律があり、これに違反すると会社に多額の罰金が科せられる。罰金を恐れて冬に会社を閉めているところが見当たらないというのは、それに対する備えがちゃんとできているということであろう。

備えあれば憂いなし。その意味で可哀想なのは南欧である。イタリア、ギリシャ、トルコなどで大雪になっているようだが、暖房や除雪など冬の備えのない場所で大雪が降れば、大混乱になることは避けられないからだ。

メキシコ湾の石油流出事故や温暖化で北極の氷が溶け出していることから、メキシコ湾流が弱まって欧州が寒冷化しているようであるが、温暖化の究極は寒冷化だという説の正しさが身にしみてわかるような気がする。

それにしても寒いよ~

台北の赤ちゃん環境

10回以上は行って慣れているはずの台北だけれども、赤ちゃんと一緒に日々を過ごすとまた別の視点から物事が見えてくる。

台北は人口260万人程度の都市(郊外含めると600万人)であり、大都会ではあるが東京・パリ・ロンドンなどと比べると小さいし、混雑具合もそれほどすごくはない。それでも、赤ちゃんが過ごす環境としては決していいとは思えない

赤ちゃんは一日に何度もミルクを飲み、何度も寝て、何度もおむつの交換が必要である。生後4-5ヶ月という年頃はある程度日常のリズムが確立する時期であり、起床と就寝はほぼ定時になってくる。うちの娘は朝は7時半~8時に起きて、夜は8時前に眠ってしまう。午前中は布団の上などで寝返り練習などある程度運動もさせたいし、湿度の高いアジアでは少なくとも1日おきには入浴もさせる。

うちらが泊まっている場所はお姉さん宅で、新店と言って台北の南の近郊住宅地の高層アパート(13階)だ。赤ちゃんのリズムに合わせて外出しようとすると、いろいろやっていると午後になってしまう

他にもお姉さんの子供がいるので、いろいろ手間を考えると外出手段は自家用車しかない。エレベーターで地下の駐車場に下り、子供たちを車に乗せて30-40分ほど走り台北中心部に到着。そこのデパートか何かの地下駐車場に停車し、ベビーカーを引っ張り出して組み立て、あとはデパート内の売り場やレストラン街で時間を過ごし、また車で移動する。

おわかりだろうか。“お出かけ”しているにも関わらず、赤ちゃんが全く外気に触れていないのだ! デパート内は人工の照明がともり、人工の換気がされており、窓すらないのが一般的。あとは地下駐車場と車の中だけ。赤ちゃんだからどうせ何もわからないだろうというのは間違いで、これを長期続けたら、心身ともに健康な子供が育つかどうか不安が残る

子供には自然に多く触れさせるのがよいと聞くし、俺も自分の経験からもそうさせたいと思っている。Aちゃんのお姉さんの息子も、車で30分程度かかるが広大な敷地で緑がいっぱいの山の麓の学校までわざわざ通わせている(台北は三方を山に囲まれているので、それは可能だ)。

しかしそういった融通が利くのはある程度の年になってからであり、3才くらいまでは親が日常のほぼ全ての面倒を見るしかない。その中で台北のような場所で生活をしていると、子供が自然に触れる機会はほぼゼロになってしまう

ハイデルベルクでは家を一歩出ると歩行者専用の遊歩道であり、車の排気ガスもなく、両面に迫る山を見ながらおいしい空気をたっぷり味わいながら外を散歩させていたのであるが、台北では残念ながらできない。

食事も若干問題である。台湾では最近ビタミン剤にプラスチックが入っていたことで大騒ぎになっており、また「高級品」であった日本製の粉ミルクからは放射能が検出され、食の安全はぐらついている。

その中でベビーフードは欧州製が売れているが、うちの娘に与えているドイツ製のブランドは売っていない。赤ちゃんは敏感なのでベビーフードを頻繁に換えるわけにはいかない。これがわかっていたので前もってドイツ製ミルクをお姉さん宅に送っておいたのだが、このようにいろいろ気を使わなくてはならない。

Aちゃんと娘はもうすぐ台湾中部の田舎へ移動することになっている。もっと本当の外には出れるだろうが、歩道も線一本だけできちんとしていない所で車に注意しながらベビーカーを押さねばならないし、歩道の段差もすごい

2月に俺も行くので、そのときにまた思ったことを書いてみたい。

草食系思考の海外戦略

野村證券の唯一の外国人エグゼキュティブが突然辞任するというニュースがあった。ホールセール担当の55才のインド系。理由は自分の部署で巨額損失を出し、グループ全体も傾いている中で、全社のリストラのやり方について日本人の他の経営陣と対立したかららしい。

これは野村證券の海外戦略が失敗した(=終わった)象徴のような出来事である。そして、野村の失敗は、日系企業の海外戦略の失敗のお手本みたいなものだ。

野村は「はかない夢を見た」。2008年のリーマンショックのさなかに、米国の人員を倍増し、欧州とアジアのリーマン・ブラザーズの組織を買収した。競合のほとんどが事業縮小に動いているときに、「逆張り」で勝負に出た。野村は、「投資銀行業務を劇的に拡大しグローバルプレーヤーになるために、経験あるできる人材が大量に流出している今が絶好のタイミング」と宣伝した。何とも得意げだったのを覚えている。夢は3年で終わった。

野村のリーマン買収を当時ニュースで見たときには、目が点になり言葉を失ったのを覚えている。こんな馬鹿な決断がマジで信じられなかったし、120%失敗すると思った。当時国内外の報道では半信半疑のコメントが多かったが、「絶対に失敗する」と断言したものはなかったように記憶している。

野村の海外戦略はなぜ失敗したのか? 高コスト構造を先に抱え込んでおいて景気が悪化し、投資銀行部門全体が世界中で縮小し日本本体の利益も縮小する中で、海外の固定コストに耐えられなかったためである。

こう聞くと、「予想外の景気悪化が原因」と思ってしまうが、それは表面的な理由である。それだけでは、俺が「120%失敗する」と最初から確信できた理由にならない。未来の景気の推移など俺にわかるわけがないからだ。

俺から見ると、失敗の深層の理由は明らかである。草食系の経営組織で肉食系の土壌で勝負したから負けたのである。どうもうな犬の集団のボスが猫で務まるわけはない。勝負する前から負けを「直感できない」のが、残念ながら、日本人の頭脳で思考する組織なのだ。

野村はこう考えた。「グローバルに戦うには、グローバルな人材が必要。それが今、手に入る。資金もある。だから思い切って彼らを取り込めば、勝てるはず」。

このまっとうそうな考えのどこが間違っているのだろう? 投資銀行業務は海千山千の、極論すると騙し合いの世界、つまり肉食系の代表のようなものである。競合のトッププレーヤーはつわものばかりで、だからこそ欧米人やインド人が主流。彼らをアメとムチでうまく操って利益という結果を出すには、彼ら以上に長けて利口で狡賢い経営が必要なのだ。

日本企業は、経営だけはそのままでスタッフを国際化すれば勝てると思っている。しかし真実は逆であり、スタッフが日本人ばかりでも経営(=トップ)が国際化すれば勝てる、正確には少なくとも勝てる可能性が出るのだと思う。日産自動車がいい例だ。

野村は経営が日本的、つまり草食系なままで世界中で外人をいっぱい採用し、国際化にチャレンジした。本社では遅く合議的な意思決定システムを温存し、「大半が日本人取締役の組織に選択的・段階的に少し外人を入れる」という典型的な方式で、危機が起こると反対した外人をまた締め出し、最後は日本人オンリーの組織に戻って行った。まるで教科書のような失敗例だ。

日本人の組織で「経営の精神面の国際化」を図ることは、非常に困難であると思う。でも、それは必須ではない。自分の精神性を曲げようとしてまで無理をするのはなく、「自然体」でもフィットして勝てそうな事業対象や市場に絞って地道に稼げばいいのにと思うんだけどなあ。

赤ちゃんと飛行機に乗る

新年、あけましておめでとうございます!

クリスマスから新年までを家族で台北で過ごした。うちの娘にとっては初めての飛行機、そして初めての台湾渡航である。Aちゃんと娘はあと1ヵ月半程度台湾で過ごす予定でまた迎えに行く予定なので、俺はとりあえず一人でドイツへ戻ってきたというわけだ。

赤ちゃんを連れて旅行するというのはもともと結構大変なことであるが、飛行機に乗せて移動するとなるとさらにグレードはアップする

衣服類はもちろん、どの哺乳瓶を持っていくのか、おもちゃ・タオル・おむつなど、とにかく荷物が多い。今回は荷物をまとめるだけで2日間もかかってしまった。自分たちと赤ちゃん分を含めて70キロ以内の荷物重量(ベビーカーの重量はカウントされない)に抑えることも、容易ではない。

悩んだのはベビーカーだ。台湾では日本と同じく、片手で畳めるような小型のベビーカーが一般的であるが、うちにはそのようなベビーカーはない。また、小型ベビーカーは安定性が悪くて転倒のリスクがあり、赤ちゃんがフラットに寝ることもできない

そこで車輪の直径が30センチもあるかなり大型のベビーカーを持参した。車輪を外さないと車にも積めないような大きさ(!)であるが、まるで戦艦のように頑丈で、買い物しても荷物をたくさん積み込める。

あまりにすごい量の荷物なので車に全部積み込めるか心配であったが、30分奮闘の上でなんとか完了し、いざ出発!

赤ちゃんは機内で自分の座席はない。しかし搭乗は有料であり、フランクフルト⇒台北往復で350ユーロ(=35,000円)かかる。座席こそないのだが、赤ちゃん用のカゴを壁に設置してもらうことは可能である。しかし生後4ヶ月半のうちの娘でも結構手狭であったから、台湾からの復路を最後にもう使えることはないだろう。

機内では思いのほかご機嫌で、あやすと良く笑い、大声で泣くことは数回しかなかった(さすがに着陸前の揺れと気圧変化では泣いたが)。しかしカゴは狭いので、長くいるとご機嫌が悪くなる。結局大半の時間はAちゃんの膝の上で過ごしたと思う。ちなみに機内の狭いトイレでオムツを替えるのは、もっぱらパパの役割 :-)

空港に着くとAちゃんのお姉さんが“大型車”で迎えに来てくれていた。荷物を積み込み、45分走って無事お姉さん宅に到着!

赤ちゃんと一緒の旅はいろいろと大変だが、移動自体がチャレンジングなだけにその工程を楽しめるという点でただの移動と異なり、また途中赤ちゃんのくったくない笑顔に癒され、なかなか楽しく充実感がある

次回は台北での赤ちゃんとの生活について書いてみたい。

家政婦のプライド

うちの娘も生後4ヶ月になり、7時過ぎに寝るという生活リズムが確立してきたので、娘が寝付いてから、Aちゃんと家でビデオなどを見ることも再びできるようになってきた。

最近ネットで見ているのが、日本で話題になっているドラマ「家政婦の三田」。松嶋奈々子の演じる家政婦がホスト家庭の家族から“業務命令”を受けると、単なる家事だけではなく、人殺しに到るまで何でも言われるままに実行しまうというストーリーだ。

ストーリーの中で、彼女がなぜ家政婦になったのか? という疑問には、「私は愛する家族を全て失って自分で判断することへの自信を喪失したので、単に命令されることだけを機械的にやればいい家政婦になることにした。」と答えている。

このドラマはもちろんありえない極論なのであるが、基本的には俺も、これまで家政婦に対して似たような考えを持っていた。一般家庭の家事というのはプライベートなことなのだから、理屈がどうであれ決裁権はご主人の独断、とにかくご主人の言うとおりやってもらいたいということだ。

しかしドイツではこの考えは通じなかった。ハイデルベルクの家には週に一度掃除をしてもらいに家政婦に来てもらっていたのだが、今回彼女が辞めてしまったのだ。“正規の職を見つけたから”というのは本当だと思うが、全部の家政婦職を辞したわけではないようだから、辞められてしまったと言っていい。

彼女は50台のセルビア人のおばさんだった。子供が2人いるとのことで、年に2回くらい長期でセルビアに帰る以外は笑顔で仕事をしてくれた。うちの娘が生まれたときも本当に喜んでプレゼントまでもらってしまった。それだけに辞めてしまったのは本当に残念なのだ。

実は、このおばさんとは、たいしたことがないようで見逃せない、2つの“カルチャーギャップ”たる確執があった。

1つは、床の拭き掃除をする際に使うモップ。汚れたモップを自動洗濯機で洗わせて欲しいと何度もお願いされていたのを、俺たちは頑なに拒否していた。赤ちゃんのものを含めて衣類を洗う場所で、床を拭いたモップは洗えないからだ。彼女いわく、“どの家庭でもそうしている”とのことだが、“とにかくうちはダメなので、外で洗ってほしい”と言ったのだ。

夏の間は庭の水道でモップを洗っていてもらったのだが、寒くなってきたのできついと彼女から申し出があった。そこで俺は使い捨てのモップを買い、これを使うようにと指示した

しかしもう10月の風が吹くころ、彼女が同じ質問をしてきた。なんと、寒くなってきたのでモップを自宅に持ち帰り、洗って再び持ってきていたのだという。だから何とか自動洗濯機で・・・という話した。使い捨てモップは、結局使っていなかった。彼女いわく、それでは汚れがあまり落ちないからという。とにかく言ったとおりやってくれりゃいいだけなのだが、彼女はそれがどうしてもできない

2つめは、彼女がソファーやたんすの下などをきちんと掃除していないことが多かったことである。何度も注意したのだが、その度に「それはきちんと掃除しています」とか、「ちゃんと考えて、2-3回に一度ずつは掃除しています」という回答だった。申し訳ないという回答こそ期待していないものの、あくまで自分が正しいのだと信じているこの態度は、“家政婦”としてはちょっと違和感を覚えた

ドイツの一般家庭ではうちほどモノが多いわけじゃなく、家具の種類ももっと少なくすっきりしていることが通常である。だから、うちの掃除を「主人が望むやり方で」やることは面倒だし、きっとやりたくなかったのであろう。

振り返って考えると、「家政婦にも自分のやり方とプライドがある」ということを、彼女は辞めることで示したのかもしれない。少なくとも、「家政婦は主人の言うことに黙って従う」という世界はここには存在しない。

「家政婦の三田」の欧州版が現れることは、当分なさそうだ :-)

通貨危機は法改正で解決できるか!?

欧州金融危機の発端でもあるギリシャでは資本・資金逃避が続いており、国内から預金がすごい勢いで引き出されているという。通常はユーロ建ての商業契約書でも、「ユーロないしギリシャ政府が将来定める流通通貨」と定める例が出てきているようなので、少なくともギリシャでユーロ使用が終了する日は近づいてきていると思われる。

問題はユーロがどのように終わるかである。ギリシャ・アイルランド・ポルトガルなど市場の集中攻撃を受けている国だけがユーロを離脱するのか? それとも、ユーロという通貨自体がこの世からなくなって各国が旧通貨を導入するのか? 個人的には後者の可能性が高いと読んでいる。

共通通貨ユーロの最大の享受者であり最強の経済力を持つドイツ政府は、「優等生グループ」だけに絞り込んで何としてもユーロを死守することに集中している。財政規律の弱い国を改正EU法で縛りつけて規律を課し、ダメなら罰則、それでもダメならユーロ離脱ないし国家破産をさせる仕組みをちゃんと作ろうというわけだ。切り札とされているユーロ債も、できれば「優等生グループ」だけで作りたいとの発言が出ている。

この考えは実にドイツ的な正論なんだけれども、実際には機能しないと思う。法律を作って縛れば世の中がうまくまとまるというのは順法精神が高い国民の考え方で、法律なんてどうでもいいと思っている人たちや国家もあるということを、ドイツ人はいまだにわからないようだ。規律を最初から守っていればこんな放漫財政にはならない。今だけ良ければいいと思ってカネを使ってきたからそうなったのだ。そのような国民性の人たちにたとえ法律を変えても、何の縛りになるだろうか?

さらに言えば、法律を作ってルールをクリアーにすればいいのだという考えは、こと通貨に関してはもともと根本的に通用しない。通貨とは紙切れに書いた約束事に過ぎず、何の現物資産の裏づけもない。ある通貨を使い続けるのは、その通貨の発行国への信用があるからに過ぎず、その信用は法律事ではなく、あくまで「信用したい気持ち」の集合体に過ぎない

今のユーロ圏EUには加盟国がユーロを離脱する場合の基準や手続は何も定められていないし、先例もない。でもドイツ政府の主張するように、「この基準に達したら警告、ここまで来たら離脱準備、さらに数条件が満たされたら強制離脱ないし強制国家破産」とクリアーに定めてしまったら、その基準に触れそうな国家が複数あるような危ない通貨として、ユーロという通貨自体が逆に魅力を失うと思う

しかし、“あいまいだから魅力だ”という感覚がドイツ人にはなかなか伝わらないということも、これまた実によくわかる 

ドイツ人は法律は神より絶対的なものだと、心底思っている人が多い。この前、企業年金の破産保険(=会社が破産した際に会社に代わって年金を支払うという保険)をかける必要がある件で、従業員に聞いてみた。

「保険の受け手はコメルツバンク(=ドイツ第2位の都市銀行)で本当にいいの? もうすぐつぶれるかもしれないってしきりに噂されているけれど。別な銀行を検討しようか?」

「いや、コメルツバンクで大丈夫です。法律的には、もし保証者である銀行が倒産したら国家が救済すると書いてあるから平気です。」

「そうだけど、国はそんな法律いつでも変更できるんだよ。」

「・・・」

ドイツからユーロが消える時に初めて、彼らは法律が絶対安全じゃないことを思い知るのかもしれない。

超高価な暖房用燃料

今週の2日間、東ドイツの中都市マグデブルクの暖房は、豚インフルエンザのワクチンの焼却熱で賄われるという。この町にある大規模焼却施設がドイツ中で余ったワクチンを集めて焼却し、熱に転換するからだ。これ以上に高額の“燃料”は、おそらくないであろう。

2009年に発生した豚インフルエンザではドイツの各州が計5000万箱を注文したが、実際に納品されたのは3400万箱。そのうち余っているのは、なんと2870万箱であるから、要は80%以上が未使用だった。これによる政府の損失は2.3億ユーロ(=250億円)

ワクチンの保存期限が来たので処分するしかなくなったのだが、処分場の競争入札の結果、14,000ユーロ(=150万円)の最低価格でマグデブルクの焼却施設が“落札”したという。ワクチンや容器は生炭程度の熱量が出て家庭ゴミより効率が高いので、処分場にとっては「歓迎したい」ゴミだとのこと。実にドイツらしい、合理的な手続である。

製薬会社は大もうけしたのであろうが、ドイツ州政府にとっては莫大な損失になってしまった。健康保険は実際に使用された分しか払わないから、残りは州、すなわちドイツ社会全体の損失になる。

なぜこのようになってしまったのか? 州が購入しすぎた理由としては、まず豚インフルエンザの規模が予想不可能であったことがある。政府としては“万一の場合を考えて”多めに注文しておくことを選択するしかなかった。

しかも、当初は1人あたり2回注射しないと効かないとされていたのに、後になって実は1回の注射で十分であるとの判定に変わったらしい。それに、多くの人は副作用を憂慮してワクチン接種をしなかった。

豚インフルエンザのワクチンを巡っては、先進各国とも「注文した分の大半が在庫」という状態であったことが知られているが、2年後には「在庫処分」の日がやってくる。

ワクチンは有効期限が切れたら処分が必要であり、また将来社会的に同じ疫病が流行したとしても、新規に注文するしかない。疫病が少しでも違うタイプであれば、もちろん別のワクチンが必要になる。しかも、薬の成分や効能を知り尽くしているのは製薬会社であり、政府側にはワクチンという“ブラックボックス”の中身はわからない。現在のシステムでは製薬会社が圧倒的に有利な立場にある。

ワクチンの副作用などは、当然、実際の接種が始まってから初めて徐々に明らかになってくる。今回もかなりの副作用が出ているという情報が多かったので、まともな神経の人なら接種は拒否したと思うし、もちろん俺も絶対にこんないかがわしいワクチンを接種する気はなかった

しかしワクチン製造には時間がかかるので、政府は副作用の結果がわかる前に発注しなくてはいけない。しかも製薬会社は、まるでアップル社の新製品リリースの時のように、“製造が間に合わない!品薄だ!早い者勝ちだ!”という雰囲気を徹底的にかもし出す作戦に出て人心を煽るものだから、なおさらである。さらに、製薬業界の政界でのロビー活動勢力は強大である。

このワクチンに関する“構造的に不可避な社会損失”は、現代社会の闇を表しているように思えてならない・・・

日本人の美学

うちの娘ももう生後3ヵ月になるが、新生児だった頃に比べて寝かせるのがだんだん難しくなってきた。一回に寝る時間は長いのだが、それだけに寝つくまでのハードルが高くなっている。俺のやり方はよくないようでどうしても泣き止んでくれないので、一日で一番大事な夜に娘を寝かせつけるのは、Aちゃんの専門稼業となっている。

俺の勉強が足りなかったせいもあるのだが、疲れたら寝て休むと回復して再び元気になるという基本的なことを、赤ちゃんは知らないらしい。だから疲れると気分を害して泣き始める。泣くと疲れるからさらに機嫌が悪くなり、大声で泣きじゃくる。寝かせるには赤ちゃんが好む体のポジションやあやしかた、音楽や光加減など微妙な感覚を知り、しかもその日のモードに合わせて臨機応変に応対する必要があるのだ。世の中のお母さんは大変だとつくづく思う 笑

このような経験を何百回も繰り返すうちに、ある年齢になると「そうか、疲れたら寝ればいいんだ」ということがわかってくるらしい

もちろん大人ならそんなこと、誰でも知っている・・・はずだ。しかし実際はどうだろう? 疲れても泣き続ける娘を見ていて思うのは、自分の肉体的限界をあまり認識していない人が多いように思われる事実である。それは何故か外人よりも日本人に多い。

会社のプロジェクトなどが忙しくなると、ビジネス界では睡眠を削って仕事しなくてはいけないこともある。そのような時、「とことん限界まで頑張って」ある瞬間ぶっ倒れる人が、日本人にはなぜか多い

冷静に考えれば、業務がどんなにきつくても、いきなり自分が途中で倒れて病院に運ばれ長期間稼動できなくなるよりは、多少手を抜いてでも継続的に最後まで一貫してやり遂げるほうが、関係者への迷惑度はよっぽど少ないことは自明である。健康管理というのは自己責任であり、誰も担保してくれないからだ。自己責任主義が徹底している欧州の管理職では、わかっていてそういう無茶な行為をする人は極めて少ない。そんなことをしたら自分も周囲も損するからだ。

「突然バタン派」が日本人に多い理由は、社会構造があるように思う。会社では、夜遅くまで社内に残っていることや週末にメールを出すことが「評価」される。もちろん人事規定では早く帰宅することを表向き「推進」しているが、実態は逆である。俺は東京で某金融機関にいたとき、この「考え方」があまりに馬鹿馬鹿しいので、時々6時に会社にかばんを置きパソコンをつけっぱなしで友人と飲みに行き11時過ぎに会社に戻ってきて、あらかじめ用意しておいたつまらないメールを1-2本打ってからパソコンを閉じて帰宅していたものだ。

この論点を更に突き詰めると、日本人の精神論に辿り着く。“生きていてこそなんぼ“という人生本来の根本よりも、「あるミッション(=使命)のために堂々と果てること」が社会的に美化・評価される。そのためには他の事を一切考えず(=お上に任せ)使命だけのためにひた走り、最後はカミカゼのごとく果てるのがよしということだ。

為政者のために都合のよい精神教育が徹底していてた戦前戦中は、日本人は精神的に今よりずっと強かったのだと思う。この精神教育は日本人のマインドにぴったり来るからだ。お上の権勢ががたつき上下の社会系統が崩れつつある現在、世界で通用する日本人が少なくなっているのは、彼らが「拠り所を失っている」からであろう

日本人の志向を考えると、日本という国を再興するためには、天皇などわかりやすい人を錦の旗に、誰か強い人が出てきてリーダーシップを発揮し、「いいから俺についてこい」とドンドン仕組みを作ってグイグイ引っ張ればいいだけなのだ。

まあ、実際いつになることやら~

ドイツとポーランドの対称的な雇用関係

ドイツ人とポーランド人の雇用に対する考え方は180度異なる。例外がいろいろあることは承知の上で、あえて定型化してみる。

ドイツ人は何よりも安定を好み、安定した先の見える状況で安心を得られる民族である。生活の銭の中心は会社雇用である。彼らにとって会社とは、安定的に規模や利益を少しずつ拡大し少しずつ給料も上がりながら、長年安心を得られる「はず」の場所だ。現実がそれと異なってきても、彼らの“会社のあるべき姿”は、いささかも揺るがない

ドイツ人は日本人に比べると、生涯の転職回数は平均して確かに多い。しかしそれは営業や経理など「転職バリュー」のある職種だけであり、また、大都会の勤務者中心であり、田舎の製造など産業系やカスタマーサービスには勤続何十年選手がゴロゴロしている

50人以上の会社には従業員全体を代表する組合機関があり、経営側と執拗に交渉する。賃上を要求するのは理解できるが、ドイツの場合は「雇用保証」と「拠点保証」が必ずセットで要求される。これを経営が飲んでしまうと、数年間解雇ができなくなり、また、事業拠点の閉鎖ができなくなる。

最近エアバスのドイツ製造拠点は2020年までの雇用保証要求を受け入れた8年間も解雇されない地位を法的に確保するという要求もすごいが、これを実際受け入れさせてしまうほどに労働者は強いということだ。

一方、ポーランド人は歴史的・社会的に常に変化を経験してきた民族である。基本的に、長期的ビジョンなどあてにならないし、失敗しても動じずまた挑戦する。企業家だけではなく一般従業員でも、独立独歩の精神が強い。従業員の解雇も法律上実に簡単であり、採用面接をしたら翌週には出社するのが通常である。会社形態はおのずと労使協調型ではなくトップ独裁型が多い。

従業員の会社への忠誠心は概して低く、会社側も本当のキーパーソン以外は簡単に入れ替え可能と考えている。本当に不可欠な幹部人材(20歳代も多い)だけは年齢に関係なくどんどん昇給昇格させ、その他大勢の入れ替わる安月給の「平社員」とは明確な差を設けている。

新人の採用はトップだけの判断でどんどん行い、また実に多くの新人が数週間の短期間で辞めていく。面白いのは、辞める新人は典型的には突然連絡なしに出社しなくなることだ。辞表も出さない。数日後会社側がその人にレターを出し、「契約違反で出社しないので解雇します。」と通告して、それでおしまいである。勤務した日数分も含めて給与はゼロ。そんな社員がいたという記録すら残らない。ポーランドでは転職の際に前の勤め先に信用照会がされることがないため、社員側も会社側も実にドライにさっぱり別れる

このように雇用慣習の全く異なる両国のチームが二人三脚で顧客商売をこなすのは並大抵のことではないが、それだけに達成感も大きいと言える。

ドイツの雇用制度と事業再編

今年の8月初旬、ドイツ中西部を基盤とするドイツ最大の電力・ガス会社E.ONが世界の11,000人のリストラを発表して大きく報道されたことがある。うち6500人はドイツ勤務者が対象だ。

これまで安定雇用主の象徴であったE.ONの社員は、一瞬にして不安定な状態に突き落とされた。「銀行の住宅ローンを延長しようとしたら会社名を理由に拒否された」などの例もあるらしい。

ロシア経由のガス供給契約などの関係で供給コストが大幅に増加しビジネスモデル変更を余儀なくされたなどと報道されているが、もともと利益の大きいはずの独占系エネルギー業界最大手がそれだけが理由でここまでのリストラが必要とはちょっと考えられない。きっと他にも、欧州マーケットの将来性自体に密接に関連するもっと深い構造的な理由があるのではと察する。

通貨危機が続き固定費が高い欧州で大規模リストラを“突然”実行するのは、欧州系・外資系を問わず今やトレンドになりつつある。国民の安定志向が極めて強いドイツでは、この動きは社会的にも大きな衝撃なのだ。

E.ONはリストラに際し、人員削減の大枠だけを発表したが、具体的な時期や部署などのプランはいまだに発表していない。各部署がいまだに「作業中」ということになっている。しかし、E.ONリストラ発表から3ヶ月を経過してもまだ詳細を発表しないのはなぜか

それはひとえに、労働組合対策である。ドイツでは労働者の権利が非常に守られており、労働者は全員でひとつの団体として会社側と徹底的に交渉する。その結果、時間ばかり取られて妥協を迫られ、コストと人員の削減はドンドン骨抜きになっていく。

労働者側の交渉余地を以下に最小限に留めるかが、ドイツのリストラでは何よりもキーになる。人員削減のプランが経営から発表されないと、それに対する対抗策も彼らは打ち出せないからだ。

リストラの全体を発表したまま何ヶ月も放置すると、社内の雰囲気は当然乱れ、社員の士気は落ち、転職者が出たり、会社としての利益体質自体も弱体化していく。これは実際に起きていることだが、それを承知の上でそのような戦略を取らざるを得ないほど、ドイツの労働法の問題は大きいと言える。

マスコミはそのような経営陣の態度を叩くので、E.ON経営陣は最近労働者と交渉テーブルにつかされている。しかしこれも計算のうちであり、交渉テーブルにつくまでの時間をなるべき稼ぎ、その後も引き延ばし続けているうちに時間切れとなり、それから突然詳細を発表して実行する算段なのだろう。

次回はドイツと全く異なる、ポーランドの雇用事情に触れてみたい。

«ドイツは経済危機なのか!?

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31