家政婦のプライド
うちの娘も生後4ヶ月になり、夜7時過ぎに寝るという生活リズムが確立してきたので、娘が寝付いてから、Aちゃんと家でビデオなどを見ることも再びできるようになってきた。
最近ネットで見ているのが、日本で話題になっているドラマ「家政婦の三田」。松嶋奈々子の演じる家政婦がホスト家庭の家族から“業務命令”を受けると、単なる家事だけではなく、人殺しに到るまで何でも言われるままに実行しまうというストーリーだ。
ストーリーの中で、彼女がなぜ家政婦になったのか? という疑問には、「私は愛する家族を全て失って自分で判断することへの自信を喪失したので、単に命令されることだけを機械的にやればいい家政婦になることにした。」と答えている。
このドラマはもちろんありえない極論なのであるが、基本的には俺も、これまで家政婦に対して似たような考えを持っていた。一般家庭の家事というのはプライベートなことなのだから、理屈がどうであれ決裁権はご主人の独断、とにかくご主人の言うとおりやってもらいたいということだ。
しかしドイツではこの考えは通じなかった。ハイデルベルクの家には週に一度掃除をしてもらいに家政婦に来てもらっていたのだが、今回彼女が辞めてしまったのだ。“正規の職を見つけたから”というのは本当だと思うが、全部の家政婦職を辞したわけではないようだから、辞められてしまったと言っていい。
彼女は50台のセルビア人のおばさんだった。子供が2人いるとのことで、年に2回くらい長期でセルビアに帰る以外は笑顔で仕事をしてくれた。うちの娘が生まれたときも本当に喜んでプレゼントまでもらってしまった。それだけに辞めてしまったのは本当に残念なのだ。
実は、このおばさんとは、たいしたことがないようで見逃せない、2つの“カルチャーギャップ”たる確執があった。
1つは、床の拭き掃除をする際に使うモップ。汚れたモップを自動洗濯機で洗わせて欲しいと何度もお願いされていたのを、俺たちは頑なに拒否していた。赤ちゃんのものを含めて衣類を洗う場所で、床を拭いたモップは洗えないからだ。彼女いわく、“どの家庭でもそうしている”とのことだが、“とにかくうちはダメなので、外で洗ってほしい”と言ったのだ。
夏の間は庭の水道でモップを洗っていてもらったのだが、寒くなってきたのできついと彼女から申し出があった。そこで俺は使い捨てのモップを買い、これを使うようにと指示した。
しかしもう10月の風が吹くころ、彼女が同じ質問をしてきた。なんと、寒くなってきたのでモップを自宅に持ち帰り、洗って再び持ってきていたのだという。だから何とか自動洗濯機で・・・という話した。使い捨てモップは、結局使っていなかった。彼女いわく、それでは汚れがあまり落ちないからという。とにかく言ったとおりやってくれりゃいいだけなのだが、彼女はそれがどうしてもできない。
2つめは、彼女がソファーやたんすの下などをきちんと掃除していないことが多かったことである。何度も注意したのだが、その度に「それはきちんと掃除しています」とか、「ちゃんと考えて、2-3回に一度ずつは掃除しています」という回答だった。申し訳ないという回答こそ期待していないものの、あくまで自分が正しいのだと信じているこの態度は、“家政婦”としてはちょっと違和感を覚えた。
ドイツの一般家庭ではうちほどモノが多いわけじゃなく、家具の種類ももっと少なくすっきりしていることが通常である。だから、うちの掃除を「主人が望むやり方で」やることは面倒だし、きっとやりたくなかったのであろう。
振り返って考えると、「家政婦にも自分のやり方とプライドがある」ということを、彼女は辞めることで示したのかもしれない。少なくとも、「家政婦は主人の言うことに黙って従う」という世界はここには存在しない。
「家政婦の三田」の欧州版が現れることは、当分なさそうだ :-)
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