僕の弁護士
ドイツ人の法律観は独特だ。
自分の個人的な契約事項で、すぐに弁護士を使いたがる。もちろん費用は自分持ちだ。
家賃契約なんかも、みんな必ずと言っていいほど弁護士ないしは法律の知識のある友人に見てもらい、何度も修正案をやり取りする。家賃の交渉や修理要請などでも、いちいち弁護士が登場する。
会社で一部の社員と雇用契約を一部改定しようとしたときは、社員A(男性)は一読すると、「わかった、いいと思うけど、弁護士に相談してから返答する」とのこと。
ちなみに変更内容に複雑なことは何もない。賞与の支給を年1回から2回にしたり、その他細かい事項を盛り込んだだけだ。もちろん会社側は弁護士を使っているが、受け取った側は変更点が太字になっているので、それを読んで了解すればいいだけのことだ。
しかし社員Aは数日後、新契約にはサインしたくないと言ってきた。
理由は 「自分の弁護士に相談したら、今の契約内容の方が有利だと言われたから」という。でも突き詰めて理由を聞くと、その有利な理由を自分できちんと把握しているというよりは、『弁護士がそういうから』信じているというだけのようだ。
さらに、まだ20代前半の社員Bの要請で彼女の給与体系を一部変更した時にも、何度も自分の弁護士に相談し、こちらの変更点に対し細かい代案を用意してもらっていた。ちなみに、新しい給与体系で自分のリスクが増大することはないとわかっていてもだ。
でもこちらと話し合って納得したので、結果的にはその代案は用意したまま使われずじまい。時間切れが迫っていたということもあるけど、立派な文章を専門家に用意してもらっても、交渉の落としどころは結局自分の納得感だ。
なぜこんなに『弁護士先生』の出番が多いのか!?
その理由は、専門化社会が行き過ぎて、法律に関わることは「私の範疇ではないから自分ではできない」と決め付けてしまっているなのだと思えてならない。ドイツ人はとかく、自分でできることとできないことを前もって決めてしまって、柔軟性がないことが多すぎる。
複雑で多額の契約ごとならともかく、個人的で少額なことに弁護士を使うというのは、時間とコストの膨大な無駄に思えてならない。少しは自分で考えたら!?と言いたくなる。だから弁護士はたくさん必要になるし、実際ドイツには、おせじにも「できない弁護士」があふれている。 でも、それはあまり気にしないらしい。
個人的な契約を弁護士に見てもらって修正を受けても、その弁護士の質もさることながら、契約書の修正も実にたいした内容ではなく、「弁護士報酬をもらうために何か直した」という程度のものが多い。弁護士報酬は、安心料程度ということだ。
弁護士社会のもうひとつの理由は、ドイツ人が一般に、法律的な意味での自分の権利意識が強いためだと思われる。
要するに、契約は書面になっている公式書類なので、その契約という紙の上で自分の権利を最大限に、かつリスクを最小限にしたい。その気持ちがあまりにも強くて、小さなリスクや少額の契約にも時間をかけ、時間的・費用的コストを度外視しているのだ。
税理士についても同じ事象が起きている。
ドイツは欧州の多くの国と同様に、単なるサラリーマンでも個人所得税の確定申告義務があるが、税制があまりに複雑なので、よい税理士に頼むほど還付税額が高くなるらしいのだ。
そこでドイツ人たちは、こぞって税理士と相談する。その相談する頻度、税金対策に請求書などを集めたりまとめたりする時間、税理士相談に費やす時間、支払う報酬たるや、本当に投資コストに見合っているのかと不思議になる。
あるとき、遅れて出社してきた先ほどの社員Aが得意げに言っていたのは、
「僕の税理士はできるやつでさあ。今日最後の相談にいってきたんだけど、去年の確定申告をしてもらってたら、なんと2000ユーロ(32万円)も還付があるんだってさ。今日はラッキー!!」
そこで俺は聞いた、
「で、その税理士に報酬はいくら払ったの?」
「1500ユーロ(24万円)」
ええっ~!!! ありえない。彼の収入レベルを知っている俺は、個人所得税ごときに、自分のポケットからそんな多額の報酬を払うなんてこと、全く信じられない。その金額は、会社の税務申告に払うようなレベルだから。
でも彼はニコニコして、
「でも、500ユーロ返ってくるジャン。だからよかった!」
ちなみに、Aはかなり仕事のできる社員であり、複雑なディールをまとめて来る能力がある。でも、自分のこととなるとこの通り。
ああ、うらやましいほど幸せな奴! 今日はよく眠れるんだろうなあ。
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