何事も始まりがあれば、いつか終わりの時が来る。
昨年一年間で俺として一番大きかった使命は、ドイツでひとつの事業を終わらせるということだった。
投資事業というのは元々、永続性の前提がない。あるアイデアに基づき、調査で裏付けし、理論を組み立て、採算をはじき、予算を確保して投資する。数年経ったらひとつの投資を回収してその場は撤退し、また次の場所で何かを始めるというサイクルな訳だ。現地で採用した従業員にも、面接時点からそれは言い聞かせてあった。
...というクールな理論の通りに進めたと言うのは、表面的な事実としては正しい。
ただ、舞台裏はもっとずっと人間臭いものだ。理由は簡単:プロジェクトを動かすのはみんな人間だから。
機関車を設計して組み立て、火をくべるのは大変だけど、前途揚々としていてエキサイティングだ。機関車をどんどん走らせるのもワクワクして楽しい。優秀でやる気のある人を集めるのも比較的簡単だ。
これに対して、ブレーキをかけて停止させ、冷やして解体するという作業はどうだろう。せっかく作り上げたチームだって、永久に解散する日がやってくる。もう昇給もないわけだし、解雇を宣告したらみんなの生活を支える給与も止まることがわかっている。この陣頭指揮は、精神的にかなりつらい仕事だ。
この「停止プロセス」が数ヶ月の短期間で行われれば、経営側は楽だけど、従業員は考える時間も対策を練る時間も精神的準備をする時間もなく、苦境に追い込まれる。
一方で「停止プロセス」が長引くと、経営と従業員の両方に取って苦しくなる。停止プロセスには紆余曲折がつきものだから、経営側は「そのときの状況次第で」ブレーキを強めたり弱めたり、ある地点で無理してでも停止させたりしたいが、振り回される従業員たちは不安を募らせて経営に対し疑心暗鬼に陥る。そもそも、走っている機関車は「慣性の法則」で一定の運動量を保ち続けるから、「本部」が思うほど自在にはコントロールできない。
ドイツ語には、後ろ向きの事務作業的なディールを指す Abwicklung という便利な単語がある。サブプライム危機が始まってからというもの、世界各国と同様ドイツでも不動産取引の数は激減し、しかもその多くはマーケットからの撤退作業、つまり「Abwicklung」だ。
思い返せば撤退作業を細々を始めた頃は、現地従業員ともいろいろな軋轢があった。
ドイツ人の会社社会は縦割りのピラミッド型で、上司の命令は日本以上に絶対服従が原則。だから「撤退に向けた作業を実行する」指示を与えれば彼らは必ずちゃんとやるが、大事なのはどんな気持ちでそれをやってもらうかだ。
特に初期段階では情報共有が難しい。何でも彼らに語れるわけではないし、どうなるかまだ先が見えないことが多い。かといって何も方向性を示さないと経営はリーダーシップを失う。その葛藤が続いた。
特に女性従業員たちの間では情報伝達スピードが非常に早い。彼らは自分たちがどの方向に向かって走っているのか告げられないと不安に駆られ、憶測が憶測を呼ぶネガティブな事態になっていることに気づいたりして、俺も憤った。
自分の中でも悩んだけど、結局、各従業員と個人ベースで話す機会を積極的に多く設け、情報をできるだけ細かくインフォームしてあげるのが効果があることに気づいた。
決まっていないことは決まっていないで構わないから、本当の機密事項を除いて極力こちらから情報共有する。「正直に話してくれている」というポジティブな印象を与えることで、彼らの不安は多少なりとも和らぎ、一喜一憂することが少なくなる。不安定な状況にもだんだん慣れていき、やがて先が見えることで、落ち着いて次のステップを考えられるようになっていくようだった。つまり、「心の準備」ができるように誘導してあげるということだ。
もうひとつ実行したのは、各従業員の個人的事情をできるだけ尊重してあげること。是が非でも次のキャリアパスを見つけたい人もいれば、子育てに専念したい人、ちょうど妊娠した人、自営業形態に戻りたい人、夜間で修士号を取りたい人など、事情はさまざまだ。
そこで、不公平にならない程度に(つまり全体コストを増加させずに)、給与や退職金の支払い方、辞め方などにつき柔軟に対処してあげるようにした。日本でもドイツでも通常は会社が一律に決めたやり方を押し付けるものなので、みんなずいぶん喜んでくれた。経営側が「ちゃんと自分のことを考えてくれている」と思わせることは、気持ちよい最後を締めくくるのに大事なことだと思う。
そして各人の最終勤務日。入り口のキーを返して挨拶して出て行く笑顔には不安は見えず、充実感のようなものさえかいま見えたのが、俺は一番うれしかった。
きれいな「たたみ方」にこだわるのは、実務的な理由もある。ドイツは訴訟社会だ。アメリカのように巨額の請求をすることは少ないけれど、なんだかんだと理由を付けて元経営側を訴えるような訴訟は他社ではしょっちゅう起きている。訴訟を起こすのは経済的な理由もあるけど、「不満があるから」という動機も多い。それを未然に防ぐには、気持ちの上でハッピー•リアリアしてもらうのが一番だ。
ノリノリの時期だけじゃなくつらい時期をも共有したドイツの仲間とは、今後も何らかの形で関係が続いていくことだろう。人間関係に関しては打算しきれないことが多いし、どこでどう助けあるいは助けられるとも限らないよね。
ドイツの元従業員たち同士の絆も非常に強く、今でもお互いにしょっちゅう会って食事しているらしい。転職していった人たちは給料も上がったはずだし、新天地も自分で選んだものだ。
でも聞き及ぶところ、給料や仕事内容はともかく、彼らには一つ共通の不満があるという。それは。。。現職場の「人間関係」!
「ああ、あの時はみんなが一体になって目標に向かっていて、裁量的にも自由にやらせてもらえて、互いの連帯感もあって、若いエナジーにあふれていた。本当によかったよねえ、なつかしいなあ~」
俺にとって、それは何よりうれしい言葉だ (*^-'*)>
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