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ベンツ車は高級か!?

先週、1年ちょっと乗っていたリース車を3年のリース期限到来で返却し、3ヶ月のレンタカー契約で別の車に乗り始めた。

”他に乗る人がいない”という理由で、思えばひょんなことから「不本意に」使い始めたBMWの5シリーズだったが、12万キロも走行したから頑張ってくれたと思う。

昨年1月に赴任して初めの3ヶ月間は、余ったVWパサートを使っていた。ところが、会社で唯一BMWを使っていたドイツ人のトップが辞めたため、その車が俺に回ってきたのだ。

しかし当初はこの決定に、ちょっと不満だった。BMWの5シリーズと言えば、日本では車体価格で1000万円になる高級車だけれども、単純に運転するにはあまり実用的ではないのだ。

まずカーナビが使いにくい。携帯電話はBMW専用の機種しか使えない(だから俺はイヤホーンにしていた・・・)。

運転席の横に、カップやコーヒーを置く台がない(後部座席にはある)。

iPhoneなどの音響機器を差し込む場所が後部座席にしかないので、助手席からは非常に操作しにくい。

ハンドルの位置が邪魔になって、運転席から見にくい操作盤がある。

車体が大きい割には、荷物を入れるトランクのスペースが小さい

要するに、後部座席が快適にできていて、運転席の快適さへの思慮が少ないのである。

ひとつひとつは大したことはないようだけど、車の使用頻度が高く年間45,000キロくらいは運転することを考えると、やはり使いやすく実用的な車がいい。

唯一いい点は、高速運転での絶対的な安定性と、3ℓエンジンの加速である。アクセルを全開にしたことは一度もないが、やはり加速はすごいし、220キロ出しても50キロ走行のときと揺れも走り具合も全然変わらない。でも、エンジン性能だけのためにこんな車に乗ることは、自費なら間違ってもやらない 笑

あと、BMWに乗る無視できないデメリットがもうひとつある。それは、社内の人の反応だ。

ドイツはもちろん欧州は車社会であり、車は個人のステータスに直結している。だから、誰がどの車に乗っているのかは、誰もが気にする重要事項となっている。

ドイツでは社会通念として、経営者はベンツかBMW、営業はVWパサートかアウディA4に乗るもの、と決まっている。もっとも最近では、経済危機などもあって営業車をVWゴルフに格下げする会社も出てきているようだ。

しかしドイツ国外ではこの基準は異なる。一般的にイギリスやフランスでは、ドイツよりも若干格下の車を使う傾向がある。だから、他の欧州経営者の車よりも俺の車が断然「上」に見えるため、普通なら、いろいろ影で言われることもある(俺が自分で注文した車じゃなくて前任者の”お古”だから、まだましだった)。

日本から出張者が来る場合には、もっとやっかいだ。日本ではパサートでもすごい車ということになっているし、BMW5シリーズに俺のような立場の人間が社有車として乗っているということは、信じられない贅沢に見えるのだ。

しかしこの議論には、ドイツと日本の社会的な認識の違いをしっかりと把握することが必要である。同じ”車”だからといっても、社会的な位置づけが全く異なる。

日本では白のバンか、軽自動車に毛が生えたような車を営業車として使うことが多い。

日本の営業マンは朝は電車で出社し、朝礼などを終えて、9時になると駐車場に下りて車を取り、得意先へ出かけていく。夕方に会社に戻り、日報など雑務を行って、まだ電車で帰宅する。地域ごとの分担ができているので、走行距離はあまり長くない。

欧州では営業マンは広い領域をカバーすることが多いので、ホームオフィスが一般的だ。会社に行くのは2週間に1日くらいだろう。一日の走行距離も数百キロになる。事務をする日は、一日自宅で集中して行う。

また、欧州のマネージャー以上には、経理などバックオフィスも含め、会社が車をベネフィットとして与えるのが一般的だ。それは個人で使うためであり、週末や休暇にも当然使ってよい。本人のステータスの意味もあるため、ある程度のレベルの車を与える。

国土が狭く、混雑していて高速料金や駐車料金の高い日本の都市圏では、車の利用は最小限にするのが効率的であるし、趣味でもない限り、車に投資などしないほうが賢明だ。しかし地続きの欧州では昔から車でイタリアでもスペインでも行くものであったし、日常でも頑丈な車が必要になる。

そもそもドイツでは、タクシーはもちろん、トラック、消防車、救急車、はてはゴミ収集車まで、ほとんどベンツである。

しかし、本社勤務・欧州勤務両方の長い先輩いわく、

「日本(本社)の人は、ベンツとBWWは、イコール、”高級”だと思っているから、できればやめたほうがいい。CクラスとかEクラスとか、そんなことは関係ないし、相手にそんな知識もない。とにかく避けておいたほうが無難だ。」

・・・まあそれが可能なら結構なんだけど、ここはドイツ。レンタカーでも、オートマ車など一定条件を指定すると、出てくるのはだいたいベンツである。

今回は、ベンツとBMW以外の”無難な”車で、一定条件を満たすものを探すべく、全部のメジャーなレンタカー会社をあたったのだが、やっとあったのがBMW X1.1.8ℓの排気量しかないので100キロから200キロに加速するのに10秒以上かかるが、車内の仕様などは前の車よりはずっと”実用的”だ。

このかわいらしいBMWにとりあえず3ヶ月乗ろうと思っているが、”世間”の反応は如何に!?

ホワイトクリスマス

先週と今週の2週間は、いわゆるクリスマス・年末時期

R0017538会社でも半数以上の社員が出社していないということで、俺も週に一度ずつしか行っていない・・・

しかし、遊んでいたわけではない。まずはクリスマスツリーの購入

今回は初めて、生の(本物の)ツリーを購入した。ハイデルベルク郊外の「クリスマスツリーセンター」へ行ってみると、畑の中にクリスマスツリーがどこまでも並んでいるという、圧巻の風景!

小さいほうから2つめのツリーをたった20ユーロで購入したが、それでも高さは1メートル以上ある。

R0017536R0017537やっぱり本物のツリーはいいねえ~ 本物だけが持つ癒し感だけじゃなく、部屋に飾ると香りがほんのりと漂ようのが、なんとも素晴らしい。

R001752811月から雪が絶え間なく降る厳寒の今年は、文字通りのホワイトクリスマス。うちの窓には大きなつららが・・・

そして、庭はご覧の通り!

R0017518雪はきれいだけれども、普段あまり雪が多くないエリアで日常的に降雪すると、日常生活への影響がかなり大きい。

一番の問題は交通だ。家の前の狭い道でも、相当なだらかな坂なのに、発進しようとするとスリップしてしまう。何度か後退したり切り返したりして、やっと「出れる」状態だ。

町で路面駐車すると、雪にタイヤが埋まって出れなくなることがある。この間は、ある銀行の駐車場で、車を出すのに30分もかかってしまった。ハイデルベルクはまだましだが、フランクフルト附近や会社の近くは積雪量がかなり多い。

道路状況も悪く、クリスマスショッピングの時期が重なって、ハイデルベルクは渋滞がひどくなっている(ハイデルベルクのクリスマスマーケットはなかなかいい)。

今回はさらにタイヤのパンクもあったので、寒い中何度もガレージに足を運ぶことに ヽ(ー_ー )ノ 

飛行機や電車も相当乱れているみたいだ。友人に会いに一度ストラスブールへ行ったが、中央駅の掲示板では全部の電車が1時間以上遅れていた

まずは遠出しないのが、一番安全だね。

こうしてあっという間に2010年は終わっていくんだなあ~

ポーランドでの交渉術

今年1月にドイツに赴任してから、月に一度は出張で行っているポーランド。

ベルリン時代に車で1時間であったポーランドは、今では飛行機で1時間半の距離になったけど、実際の距離に反比例して、「心理的距離」はぐっと近くなった気がする。

しかし、まともに自分の力でポーランドでの交渉をまとめあげる力量は、今の俺にはまだまだ全然ない。

長年の経験があるポーランド人の同僚が先方と丁々発止で交渉している場に、俺はただ同席して、時々方向性を確認したり質問したりする程度であるが、これがなかなかスリリングで面白い。

ドイツなど経済の安定した国での交渉に比べると、交渉にはずっと高いスキルが必要だと思う。

ポーランド人は誇り高く、一方で西欧への劣等意識や歴史上の被害者意識も強い。簡単に言うと、自分たちがいつも犠牲者だと思っている。

これは、何もポーランド分割や第二次大戦のことだけではない。共産主義も押し付けられたと思っているし、ベルリンの壁解放後の経済ブームだって、金のある西欧資本に国の経済を半分乗っ取られたと思っている。

国レベルの次元だけではなく、ひとつの企業グループの中でも然りだ。ポーランド事業/支店/子会社は欧州事業の中で、いつも辺境扱いで本社や本部から十分な支援を得られず、「経済が伸びているから当然だ」と、結果ばかり求められてきたと思っている。

このような人々を相手に何か物事を行おうとするときには、まず相手の立場を理解してあげることが何よりも必要である。

相手の話が長くなり、感情論になってきても、決してそれを聞き流したり、ましてや「さて、本題に‥」などと、中断してはいけない。自分の言い分もきちんと伝える必要があるけれど、まず相手の話をしっかり聞いて、相手の思考回路でできるだけ考えてみることだ。

でも、ポーランドは西欧で一番大学進学率の高い国。人柄もよく基本はジェントルであり、こちらの言いたいことは、時間をかければちゃんとわかってくれることが多い。

ポーランドで一般的な思考をしながらしゃべっているというだけで、よくよく聞いてみるとそれは西欧でも一般的な考え方であることもある。要は、我慢強く話し合うことだ。

彼らは基本的に、まだそれほど打ち解けた間柄でなくとも、西欧とのビジネスに関しての議論は感情論が先行して熱くなることがままある。これを真に受けると、こちらも感情論になってしまう。こういう体験の少ない他の非ポーランド人のビジネスパートナーに、コツをさりげなく伝授してあげることも大切だろう。

もう一つは、相手のメンツを尊重することだ。日本や中国でもメンツは大切だけれども、ドイツなどドライな西欧ではメンツより論理がより重要である。つまり、とことん議論した結果、相手の論理が自分のより優れていることが認められると、手のひらを返してようにすぐに相手と合意してしまう。

しかしより「ウェット」な文化のポーランドでは、相手の言い分に歯向かってごり押しするのは非常に危険だ。

先般、ポーランドである工事に関する打ち合わせに参加した。電気系統やオフィスのレイアウトなど詳細部分を確認したのだが、事前に詰まっていると思われていたことの多くが、工事請け負い側にまだきちんと伝わっていなかったことが判明した。

議論自体は穏やかに行われたのであるが、こちらサイドは若干憤りを感じていた。特に納期に関して、

「いや、このままでは11月半ばになる」

「それは無理だ、11月初めにしてほしい」

という押し問答をしばらくしたあげく、双方からポーランド語の典型的な結び表現が出てくる部分を、聞き取ることができた。

Zobaczymy (まあ様子を見てみましょう) 注:英語のlet's seeに相当」

Damy sobie rade (なんとかうまくやるようにします) 注:英語ではWe'll try to make itとでもいうのだろうが、あまりピンとこない。仏語の On se debrouille という表現がぴったりはまる」

Niech pan sprubuje (では、やってみてください) 注: 英語ではPlease try then」

交渉が終わって、ポーランド人のベテラン同僚曰く、

「こういうときにはね、無理に突っぱねない方がいい。しかしこちらの要請や事情は誤解がないように何度も重ねて伝えることが重要。あとは先方がやるといっているのだから、最終的には、必ずなんとかなるはずだよ。」

契約文化の西欧とも、人情タイプの日本とも異なる交渉スタイル。

郷に入っては郷に従え、だよねえ;;;  

ポーランドの「不思議発見」は、当分続く見込みだ。

 

超真面目!ドイツ人の有給消化

ドイツに長期出張を繰り返しているとつくづく思うのだけど、ドイツ人ってほんとに忠実で真面目だ。その律儀さは、日本人でも遠く及ばないものがある。

例の一つは有給休暇だ。

ドイツのホワイトカラーや労働者は、平均年間30日の有給休暇の権利がある。1年間に6週間は休むということだから寛大だ。

どの部署でもいつも誰かが休暇で休んでいることがあり、7月後半から8月や12月後半などは閑散としているのが普通である。

まあここまでは、欧州ならどの国でも似通っているといっていいだろう。

しかしドイツで面白いのは、有給休暇は取る権利があるだけではなく、取らなければいけないと認識されていることだ。年末が迫ってくる今頃は、これが意外に全社的に問題になってくる。

日本の会社でも有給を取りましょうとか、年に1度は長期連続休暇(たった3日間とか5日間とかのこと!)を取りましょうとか、スローガンは流れているものだけど、有給を消化する義務などは実際はないよね。しかしドイツは全く異なる。

今頃の11月には、各人の有給休暇がまだ1週間分~2週間分(つまり全体の3分の1とか6分の1)残っているから、これをみんな消化してしまおうとする。するとマンパワーが足りなくなり、営業に回れない!生産が追いつかない!電話対応ができない!決算が間に合わない!など、大変な騒動になってしまうのだ。

通常なら休暇は翌年に繰り越せる場合が多いけれど、一定の契約状況では今年中に全部を取り切らなければならず、繰り越す場合には面倒な手続が待っている。

年末に向けてはクリスマス商談など需要期であり、会社の継続のためには各部署とも業務が円滑に回らなければならない。しかし個人の権利と義務は歴然として存在し、こちらも立てなければならない。

その辺りの調整をして会社がちゃんと回るようにすることは、経営の大事な仕事である。ただ、この「調整」には多大な時間が取られてしまうのだ。

「うちのXX部では、Aさんの休暇が来週から7日、Bさんはあと2週間病欠予定、Cさんは今週はまだ休暇中で出社は来週です。私は2週間後から2週間休暇の予定です。これではうちの部は回りません。どうしましょうか?」

忙しい業務の合間を縫ってやってくる部門長の顔は、真剣そのものだ

解決法はいろいろある。残存休暇の一部を来年に回す特別許可を出す、テンプスタッフを雇う(!)、業務を他部署に移すなどだが、どれも簡単にできるものではなく別の部署との調整が必要になる。

日本なら、受注がたくさん来ているのだからみんなで一致団結して頑張ろうという掛け声だけで十分であり、休暇など問題にすらならない。しかしドイツのやり方は、規則と権利と義務の全て尊重しながら、個人・各部署・経営の都合を「調整」して折り合いをつけるという、大人同士の真面目な作業だ。

想像できると思うけど、こうして議論を重ねることに費やす時間は、決して少なくない。

しかし、調和して整合の取れた「完成版休暇プラン」を目指し、頑張って議論を重ねる部長たちの顔があまりに大真面目なので、いつのまにかほほえましく応援してしまっている自分がいることに気づく (^.^;  

そう、解決法を見つけたときの彼らの充実した顔つきを見ていると、ついつい情が移ってしまうよねえ~

真面目な彼らは、休暇に出ても仕事になるべく支障がないように手配するため、自分の休暇前の時期には必死に形相を変えて仕事に打ち込む。その集中力にはすごいものがある。

「来週から休暇だから、今は時間がとっても足りないの!」

そう言いつつわき目も振らずに頑張っている社員を見ると、こちらもつい声援を送ってしまうのだ。確かに、ダラダラやるよりもずっと効率的なはずだ。

さて、俺も真面目に休暇計画を立てようっと!

古書に見る欧州社会の考え方

「この人達、一体全体どうしてこんな風に考えるんだろう?

そんな疑問が湧くことは誰でも時々あるだろう。自分と育った環境や生活環境が違う人たちのグループに接すると、そういう考え方の衝突が起きる。

相手が自分と出身の違う、つまり自分から見て外国人であれば、バックグラウンドが違うわけだから衝突はさらに大きい。でもグローバル化した今の世の中では国籍の違いによる差異は減少しており、むしろキーポイントは「世代の違い」と「仕事環境の違い」だと思う。

なぜこの社会学チックな話を出したかというと、前者の「世代(時代)による違い」を象徴的に感じ取れる好材料に最近出会ったからである。

それは••• 古書! 

欧州の都市では土曜や日曜に広場で決まって市が立つ。骨董品•美術品市の類は青果市と並んで多いが、そこで目に留まって購入した2冊の本を紹介しよう。

まずはベルリンで見つけた80年代の東ドイツの共産主義教育の教科書。その名も、「Vom Sinne unseres Lebens (我々の命の意味から)」。

Book1 Jugendweiheという青年団体の記念日に党から全員に進呈された本で、アニカという少女が1986年3月に受け取ったサインがしてある。「今日から私は大人であり、東ドイツ市民であり、社会主義の擁護とプロレタリア階級の発展のため闘う覚悟があります」、と宣誓したわけだ。

Book2

この本は245ページに渡って、共産主義イデオロギーの賛美でいっぱいだ。青少年向けであるから難しい書き方はしていない。でも何を記述するときでも、それが素晴らしい革命的な社会主義社会だからこそ、そして友邦国ソ連があるからこそ可能であると随所で強調している。

Book5

そして資本主義社会がいかに失敗作であり終局に来ているかも説いているのだ。

例えばこの写真は東ドイツ初の宇宙飛行士がソ連の同僚と、ソ連の宇宙船ソユーズに乗っているところ。同時期にアメリカもやっていた宇宙開発のことは全く無視されており、ソ連賛美ばかりだ。

Book3 それにしても、この本を書いた人たちは大まじめだったのだろうか、それともジョークだったのだろうか? 涙が出るほど笑っちゃうのは進化論の部分だ。

バクテリアが進化して植物になったとか、類人猿からヒトになったとかいう記述が続いた後、

「今日の20世紀でさえも特にアメリカでは科学的創造が盛んであり、世界は6000年前から10000年前に創造主によって造られ、すべての人間はアダムとイブから生まれたと嘘を言っている

あのこれって宗教的な言い伝えであって、科学者が勝手にでっちあげてるわけじゃないだろう!?

もっと傑作なのはイデオロギーの進化論

この年輪に書いてあるのは、

Book7

「原始社会(紀元前50000年) → オリエント階級社会(紀元前3000年) → 古代奴隷社会(紀元前700年) → 封建社会(紀元500年) → 資本主義(1789年から) → 社会主義と共産主義へ(1917年から)

ソ連が誕生した1917年に資本主義は終焉して今は世界が社会主義への移行期ですってことだ。 

猿からヒトへの進化と資本主義から社会主義への.進化は同列だという、すごい論理が展開されている!

まあイデオロギー教育だけなら、共産主義国家なら珍しいことではなかったのだろう。でも、今俺がこの本を読んで気がついたのは、この時代の激しい科学技術賛美である。

戦後東ドイツになってからの、化学製品や機械や電力生産量の「爆発的増加」には相当数のページを割いて賛美している。西ドイツはもっと成功していたのだが、もちろん一言も触れていない。

ここからわかるのは、生産増大こそ命だったこと、東ドイツ工業地帯の「草木も生えない」といわれた激しい大気汚染や水質汚濁などの公害も全く無視していること、そして球の容量限界の概念など当然全くなかったことだ。

さて、もう一冊はアムステルダムの市で見つけた 「Dit is ons land Nederland (我らの国オランダ)」。オランダ人向けのオランダ紹介書で、刊行は1960年だ。

この地図を見ると、フレボーランド州がまだ現在の半分しか干拓されていない

Bookk1

オランダは元来資本主義社会だから、もちろん共産主義イデオロギーとは無縁だ。でも不思議なことに、全体の「基調」は上記の東ドイツの本とかなり似ている

この表紙がすべてを物語っているだろう。

左側は規則正しく並んで咲き誇るチューリップ、右側はオランダの誇る干拓地保護のための締め切り堤防(afsluitdijk)。

Bookk7

人間はここまで自然を征服して利用できるんですよ!というメッセージ、いや、確信が見えないだろうか。本文中にも、科学技術の発展と自然の征服を賛美する信念に満ちた記述があふれる。

「干拓地はすばらしい牧草地であり、牛のえさとなる良質の牧草ができます。新しい干拓地は政府が所有者で、選ばれた人たちに貸し出します。勇気を持った若者が自分の幸運を試すため干拓地で農業を始めるのです。これら干拓地は我が愛する祖国オランダの常に増加中の人口を養っています。」

Bookk6

国が成長している躍動感は伝わるけれど、自然を人間の都合で改変していることへの罪悪感や悪影響は全く記載なしだ。

実際EUの統計資料を見ると、オランダの高密度集約型農業による土壌汚染は欧州でも相当ひどい部類に属し、人口の過度の集中から空気が濁っていることも衛星写真でよくわかる。言論の自由があっても、環境という「視点」がなければ結局何も見えないってことだ。

今では土産物屋にしかないけれど、その昔オランダ人は、ぬかるんだ干拓地で歩きやすいように木靴を履いていたものだ。60年代にはまだ見かけたのであろう、木靴を履いた少女の写真がある。

Bookk2

でも文章を読むと、

「これら木靴はいまだ原始的な手作りで作られている。」

手作りが原始的で工場で作るのが先進的だなんて、今じゃ考えられないよね。でも当時は当たり前だったのだろう。

昔はよかったこともある。これは国民的スポーツであるスケートと橇を楽しんでいる写真だ。

Bookk3

「オランダ人はスケートを履いてはじめて動き始めるって言われるくらいです。国中どこにでも美しいスケート適地があるなんて、私たちは幸せです。」

でもここ5年くらい、温暖化でスケートはほとんどまともに川や運河じゃできないようだし、湖を使った有名なスケート大会も何年も中止されている。気候が安定していた当時は、「古き良き時代」だったんだね。

東ドイツの80年代とオランダの60年代。

近代のエコ意識は西側世界から先に芽生えた(というか、共産圏には存在しないことになっていた)から、約20年の差異があることで逆にここまで似通っているのかもしれない。

とにかく欧州社会の唯物論的な科学主義/理性主義は長年かけて「培われた」もので、人々の意識の中での根は深いと思う。数世代に渡ってこんな本のように吹き込まれた後では、エコだ温暖化だと騒ぎだした今でも、人間心理の根っこは変わっていないと思った方がいい。

欧州が提案する「環境対策」がどことなく表面的で本質論を回避している本当の理由が、もっとよくわかった気がした。

アスパラ農園

春といえば、まずはアスパラガスの季節。ドイツ人は特に白アスパラが大好きで、市場やレストランのメニューは4月初め~5月末にかけて、白アスパラ(及び、その料理)で埋め尽くされる。通常の緑のアスパラもあるけれど、比較的マイナーだ。

ベルリン郊外のBeelitzという村はアスパラで全国的に有名で、一般公開しているアスパラ農園が多数ある。話を聞いてぜひ一度行ってみたいと思っていたのだが、先日ついに行ってきた! 

数箇所行った中でも大きかったものは、畑の中に車が百台以上も停まれそうな駐車場(未舗装)を備え、まるで「観光スポット」のようになっていた。ベルリンから近いせいか、人出もかなり多い。

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でもカメラを提げたような「純粋な」観光目的の人は俺たちしかいなかったようだ。他の人はビニール袋は提げていてもカメラは提げていない (^▽^)

駐車場の周囲は、はるかかなたまで、ずっと緑アスパラの畑になっている(白アスパラはビニールハウスが必要)。うちの北海道の実家でも(緑)アスパラを植えていたので、なんだかなつかしい!X8_2

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中に入ると、当然ながら、新鮮なアスパラを売っている。イチゴもシーズンが始まったばかりなようで、少しばかり並んでいる。

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これは、始めて見るものだけど、アスパラの皮をむく機械。一本ずつ通すと、シャリシャリっと音がして皮がむけるのが、かわいらしい (^^*)

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この「スポット」の最大の目玉は、アスパラ専用!?レストラン。広さもかなり大きく、屋外の席はいっぱいで中で食べたけれど、アスパラ自体は確かにとても新鮮だ。

でも、残念なのは、新鮮な素材を生かしきれていない場合があること。ドイツでは一般にそうだけど、極論すると、食べ物に関して重要なのは鮮度と値段であり味ではない、ということが多い。新鮮な素材でも合わないソースをかけたら台無しだとか、合わない添え物と一緒に食べたら味を損なうとか、そういう考慮は足りない。

最も伝統的な Sauce Hollandaise (オランダ風ソース、写真のもの)をかけただけのアスパラは美味だったけど、アスパラの上に塩辛いハムを刻んだものを乗せ、全体に日本のブルドックソースのようなものをぶっかけた料理は、想像できると思うけど、全然おいしくなかった (ノ_・。)

X20アスパラスープも、まあまあって感じ。。。

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この施設内には子供が本当にたくさんきていて、広大な遊び場所が用意されている。家族のお出かけには絶好なのだろうが、あとはシニアな方ばかりで、若いカップルやまして外国人などは全く見当たらない。。。。

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X18X17X4家に帰ってからは、新鮮なその日のうちにAちゃんが緑と白のアスパラをふんだんに使って晩御飯を作ってくれたよ。

アスパラのレシピーは実にいろいろあるのだが、アジアであまり一般的でない白アスパラのレシピーはネットで調べていた。そして、みごとにとってもおいしいできばえに!

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それにしてもベルリン近郊の醍醐味発見の旅は、なかなか味わいがある。

天気がいいうちに、これからも続けていこうっと p(^-^q

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ナポリで食べた

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ドイツでは夏だというのに肌寒い日が続いていた頃。。。

。。。出発2日前に急遽決心して、ナポリに行ってきたよ!

最近、事情があって、なかなか長期的な予定を立てられない状況が続いているんだけど、時間が空いたらパッと決心して出かける。これは大事なメリハリだよね~

ナポリはベルリンから直行便があるし、地中海で天気もいいし、4日くらいの短期旅行にはぴったり (^.^)

俺は初めての場所だけど、Aちゃんは10年ほど前、家族でナポリ・ポンペイ・カプリに行ったことがある。

でもそのときは、台湾からパックツアーの短期の超駆け足日程で、しかもイタリアにせっかく来たにも関わらず、食事はほとんど現地の中華料理店これは、中国人ツアーでは一般的)という有様だったから、実質は初めてに近かったんだよね。

ナポリに着くと、気温は30度、快晴! 

初日はまず街をゆっくり歩き回った。

『ナポリを見て死ね!』とまで言われたほど繁栄してかつては美しかった街だけど、今は道がとにかくごみだらけなのに、びっくりした。

ブランド品の店の前が営業時間帯にごみだらけでも、店の人も誰も気にしていないみたい。石畳の隙間にはタバコの吸殻がびっしり。

信号も横断歩道もあまりなくて、数珠繋ぎの車をよけながら、みんな平気で大通りを渡っていく。狭い道に人も多くて、雑然としている。整然とした北イタリアと同じ国だとは、思えなかった。

でもよく見ると、メンテされていないけど、建物自体は壮麗だし、25世紀前から人が住んでいるという、長い長い歴史の厚みが伝わってくる。

今はちょうどバーゲンの時期だから、お手ごろでサイズもデザインもよい服を、何着も買ってきたよ。やはり、イタリアでの買い物はいいねえ。Aちゃんは、なんでも収納できる、かわいい赤いバックを入手して、ご満悦 (^0^*

日本の新婚旅行で有名な、カプリにも行ってきた。ナポリからジェット船で1時間足らずの、豊かで小さな島。

急勾配の斜面に白い家が並んでいて、周りは青い海と青い空!

ほんとに、素晴らしい環境の島だ。毎日船でナポリまで通っている人も結構いるらしい。あの混雑したナポリとは、住環境のクオリティーが全然違う。

ブランド品の店がいっぱいのカプリと、山の上にあるアナカプリという街をゆっくり見学したけど、アナカプリから山を下って、目指すは青の洞窟(Grotte Azzura)。

青の洞窟というのは、(俺は恥ずかしながら知らなかったが)日本からの観光客は必ず行く場所。でも、入れるかどうかは運次第なのだ (/--)/

洞窟の入り口は狭く、小船に2~3人ずつ乗船して入るしかないが、波が荒いと危険性が高まり、すぐに中止になる。それに、これは後で知ったのだが、午後時間帯は満ち潮になるので、ベストは午前中なのだ。

これを知らない俺たちは、アナカプリから1時間半もかけてハイキングしながら歩いていき、崖上のレストランでおいしい魚料理に舌鼓打ちながらのんびりしていると、もう午後3時半

やばっ q(・・;q)

ボート乗り場へ下りていくと、一組を乗船したあとで、なかなか列が進まない。前にいたイタリア人が、

「今日は波が高いから、もう中止なんだってさ。ちっ!」

と教えてくれた。

外は、風も強くないし、快晴のいい天気。波の状況だって変わってないようにみえる。でも、船乗りたちには波の動きがどうなっていくか、潮がどう変化するのか、当然わかっているのだろう。1時間後にまた見たら、確かに波が若干高くなっていた。

Aちゃんは実は、10年前のツアーのときにも、波が高いとの理由で、入れずじまいだから、2度目のトライアルも失敗。だから、帰りのバスではとっても不機嫌だったが、その後買い物してご機嫌に (*^o^*)

しかし。。。。翌朝、ナポリで朝早く起きた俺たちは、心を決めて、カプリにリベンジに向かった

午前10時前にカプリ港に到着、すぐボートに乗り換え、時間を浪費せずまっすぐに青の洞窟に向かう。現地に着き、揺れる船の中、順番が来るまで待つこと1時間。

そして、ついに入れた!!

中はとても大きくて天井も高い。船頭の歌うカンツォーネの歌声が響き渡って、入り口からの日光が青い海を照らし出す、すごく幻想的で美しい世界だった。

3度目の正直、ほんとよかった (*^^)v v(^^*)

その後は、ぼろ電車でポンペイに行き、2時間くらい見学して戻ってきた。

今回の旅行で、堪能したのは、イタリア料理、なかでも海鮮料理

だって、普通のトマトとモッツァレーラのピザが、こんなにおいしいなんて!

ナポリの海鮮スパゲッティーは、トマト(トマトソースではない)とオリーブをベースに、ムール貝やイカやあさりがたっぷりのっているんだけど、新鮮だし感動もののおいしさ。イタリアンレストランがあふれるベルリンにも、絶対にない味。

ああ、もう考えただけで、また食べたい。。。

豆乳を作った

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Aちゃんがベルリンに来て、はや2週間。

生活パターンはすっかり変わった、というか元通りに戻ったよ (y^^y)

ちゃんと2人で毎日食事を楽しんだり、毎週マーケットに行って新鮮な食材を買ってきたり。

先週末買ってきたゆりも、下からどんどん花が咲いてこんな状況に! 

ベルリン在住のAちゃんの友達たちとも、再び連絡取り合って遊びに来たり、とにかく普通の生活らしくなってきた。

Aちゃんの体調もだいぶ良くなって安定してきたし、ここ数週間ぐずついて寒々しかった天気も、最近はやっと回復傾向だし。

日々の小さな感動だけどね、今朝は、ベルリンで初めて、出来たての豆乳を飲んだんだ。

豆乳って自分で作れるの、知ってる?

まず大豆を6時間くらい水に漬けておく。それと水を豆乳機に入れて、あとは全自動で蒸して攪拌すると、15分くらいで出来立てのアツアツの豆乳が完成 (・・ ? )

…飲むと、熱くて、でもちょっとだけ酸味があって、ほんとの大豆の味がして、とにかくとても新鮮! なんと健康的な!

しかも、豆乳を絞ったあとの残りは、おからになるので、これで和食系のおかずをいろいろ作ることができる(・・・らしい、ちなみに、それを知らなくてかすを捨てたら怒られた)。 

この豆乳機、SANYO製で、台湾では一般的に売られているんだけど、日本にはたぶん置いてないと思う。台湾人は、こういう純粋な豆乳だけじゃなくて、各種の豆乳スープが大好き。甘いのもあれば(俺はちなみに苦手)、塩味のスープもある(これはおいしい!)。

台湾で豆乳スープを飲んで感動した俺は、豆乳機というものがあると聞いて、Aちゃんに

買って持ってきて!』

とお願いしたら、今回の渡航で本当に持ってきてくれたのだ。かなりの大きさだったんだけど。。。 (^^;;)

ちなみに、この豆乳機、すごく電気を食うようで、変圧器のヒューズが2回も飛んだんだんだよね。

来週末はもしかして、変圧器のアップグレードで買い替えかなあ~

ドイツで初結婚式

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先日は、ドイツで初結婚式に行ってきたよ (V^-°)

旦那さんがドイツ人で、奥さんがロシア人(ただ、ドイツ生まれ)のカップル。ベルリンで数少ない友達。。。

旦那さんは、俺たちも付き合いのある、ベルリンの某大手弁護士事務所の弁護士で、いつも静かに微笑んでいるけど話し出すと面白いんだよね~

まず、東ベルリンの教会でセレモニーをしたんだけど、これはいたって普通かなあ。

新郎新婦が突然に、かなりのスピードで入場してきたので、みんな 「あれっあれっ!」って感じだった。そんな慌てなくても、人生長いだろ (∩_∩)

それに、神父さんが読み上げている声が、大聖堂全体に響いて全然聞き取れない。まあよいか。。。

晴天の下、外で記念撮影して(80人くらい)、ここからが良かった。

ベルリンにはSpreeという川が流れていて、往来する大型観光船が列を成しているんだけど、そのボートツアーをするとのこと。俺は1ヶ月前に乗ったばかりなのになあ、と思ったのだけど。。。

他の友達と一緒に、その特別ボートに乗船して、バンド演奏が盛り立てる中出航する。

東ベルリンを出て、さらに東へ。そして、10分後に突然、船は停止した。あれっ どうしたんだろう??

… それは、運河の水面の高低差を調整する場所(なんて言うの!?)だった。俺は人生初体験!! なんかとっても面白い! なんだか、乗り物好きの子供時代に返ったようだ。 

ゆっくりとゆっくりと、岸壁が視線の下に下がっていく。その隣の水路では、2隻の船が水路に停泊し、ゆっくりと下がっていく。きっと、パナマ運河ってこんななんだろうな、なんて勝手に想像。

20分くらいが経過。水路が空いて、船は再び出航。すると、広い視界が開け、ここから先には観光船もほとんどいない。そう、こんな面倒な水路を通ってくる観光船なんて、あまりいないんだろうね。。。。 

東ベルリンの、陸上からは良く知って景色を、船から優雅に眺めるというのは、なかなかおつなもの ヾ(^v^)

ベルリン中心部Friedrichstrの近くで下船すると、午後7時くらいにみんなレストランに向かった。建物の中庭を吹き抜けで改造した、座って空の見える開放的なレストラン! ベルリンには素敵なレストランがいっぱいあるのだけれど、知ってるのはごくごくわずかなんだよね  (/--)/

全員がテーブルに付くと、正装した男女が入場してきて、

「これから、MさんとEさんのために、特別に作った歌を歌います」 

。。。そして始まったのが、本格的なコーラス!! 

まるでオペラのよう!! その男女がレストラン中をくるくる回りながら、あるいは絡んで踊りながら、MとEの名前を連呼しながら、特製のクラシックな曲を披露してくれた。

これは、俺はドイツでいつもひとつ感動することだ。この国のクラシック音楽のレベルは、半端じゃない

コンサートやるような一流の人だけではない。街角でバイオリンを弾く人だって、ハイレベルな演奏で、道行く人が輪に取り囲んで音楽に聞き入り、そして心から拍手を送る。今回の歌手たちの歌声だって、ほんとにもう、感動的なくらい魅了的なものだった ヘ(^^ヘ)

そのあとは、バンド演奏とか、いろんなゲームとか、とにかくエンターテインメントが盛りだくさんだった。あとで聞くと、こういうエンターテインメント漬けは、ドイツでは典型的だとのこと。

そして、ウェディングケーキが出てくる頃には。。。午前2時。まだまだ踊っている人がいたから、きっと朝までやったんだろうなあ。俺はそのあと、もう疲れて帰ったけどね。

結婚イベント(式含む)の時間の長さでは、日本式⇒中国式⇒欧州式、の順序で長くなる。俺はやっぱり、日本式はちょっとあっさり終わりすぎて物足りないけど、欧州式に朝まで踊り明かす自信もない。だから、俺たちは中国式を採用して良かったかも ○(^-^)o

MさんとEさん、どうかお二人、幸せになってね! 

ベルリンの本格観光

Concert_hall Concert_hall2 Berlin_wall Berlin_wall2 Baumkuchen

先週末は、オランダで花の勉強をしている友人のS子がベルリンに遊びに来て、家に3泊していったよ。

友人歴は決して長くないけど、とにかくぶっちゃけ話せる子なので、ここぞとばかりにしゃべりまくり、遊びまくってしまった ヾ(´▽`;)ゝ

俺も、本格的にベルリンを思う存分観光したよ。

まずは、ボートツアーから開始!

ベルリンにはSpreeという川が流れている。欧州の他の観光都市のように、川沿いに美しい中世の町並みが… っというのとは程遠いけど、荘厳などっしりした博物館・官庁系の建物が並んでいる。

「右に見えるのは国会議事堂、左は首相官邸です」

なんて具合。すごいいい天気で、1時間も乗っていると、頭がくらくらするくらい日射をあびたよ。みんなまあよく、ビールを飲みまくって。。。(・O・)Ψ

あとは、東ベルリンの若者街をフラフラしたり、ベルリンの壁跡を見に行ったり(写真にあるけど、結構きれいに残っているんだよね)、Wannseeという西の端にある湖に行ってアイス食べながら寝そべったり。。。

博物館も歴史系を2箇所行ったし。。。。

夜はクラシックコンサートにも! ところが、ハイドン(ビバルディーではない!)の「四季」っていう管弦楽の合唱でさあ、なんと2時間半も演奏が続き、夜10時半過ぎに終わるともうぐったり。。。

それに、寿司、串焼き、タイ料理、ドイツのでっかい肉料理、本場のカレーソーセージ、本場のバームクーヘン(写真:甘さ控えめで絶妙な味!包装がとってもきれいでしょ!?)と、ここぞとばかりに食べまくり。。。

まあとにかくよく歩き、よく語り、よく食べ、よく遊んだもんだ。

台湾でお留守番のAちゃんには、時々道中で電話しながら、バーチャルで参加してもらったよ。そう、Aちゃんの方が遊ぶ場所をよく知ってるから。あれっ、一体なぜ!? (ヘ。ヘ)

ってなわけで、月曜に会社に行く足に心地よい疲れが。こうして、また怒涛のような週が明けたのであった…

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