先日、あるドイツ人社員(30代後半男性)が俺の執務室にやってきた。真剣な話があるという。
「日本でショッキングな震災が起きて毎日報道されていて、会社にもダメージが出ていますよね。私にできることは何かといろいろ考えました。そこである提案があるのですが、日本人としてどう思うか、意見を聞かせてほしいのです。」
「うん、どんな提案?」
「私は有給休暇があと10日残っているので、それを自主的に返上したい。」
「…っていうと、残りの休暇を取らずに、出勤するということ?」
「そうです!!! どう思いますか?」
ここまで読んでもどこが社会貢献になっているのか皆目検討がつかない方もいると思うので、ちょっと背景の解説をしよう。
ドイツをはじめ欧州では有給休暇は契約書に謳われた社員の権利だ。だから、経営者や大会社の役員でもない限り、休暇(年間30日間)を使い切らないということは、ありえない。
つまり、当然の権利を放棄するということは、その有給日数に相当する現金(有給10日分なら、月給の40%程度)を会社に寄付したことになり、会社がそれを震災復興に使えば、大きな社会貢献になるというわけである。
これには参ったが、こう答えざるを得なかった。
「・・・ううん・・・ 論理はよくわかるんだけど、それは日本人の観点から見ると、どこが貢献になっているのか、全然わかってもらえないと思うよ。だって日本では、有給は”使い切らないのが当然”だし、それを”犠牲”とか、ましてや”財務的貢献”だと考える人はいないから。」
「ああ、そうなんだ。そういう率直な意見を聞きたかったんですよ。じゃあ、次の案はどうですか?」
「うん、どんな案?」
「震災の影響がなくなるまで、私の月給を500ユーロ(=6万円)分暫定的に減らしてもらってもいいです」
「あの、でも、”震災の影響がなくなるまで”っているけど、それって2年か3年かかるよね。」
「・・・・じゃあ、2年か3年そのままでいいですよ。」
これにはちょっと考えさせられた。
日本でも会社の業績が悪い間、ないし不祥事があった場合、給与や賞与を一定率でカットするような慣行はある。わかるけど、ドイツの事情を知っている俺は、こう答えざるを得なかった。
「なるほどねえ。そこまで考えてくれるのはうれしいけれど、給与を一定期間減らすとか、休暇を返上するとかというと、また契約書を作成しなくてはいけないし、それを給与計算会社に渡して、彼らにフィーを払って再計算してもらって、また戻すときに同じ手間がかかる。費用だけではなく、それに携わる人の事務の手間や彼らの給料を考えると、ちょっと受け入れられないなあ。」
納得のいかない表情をしている彼に、俺はさらにこう畳み掛けた。
「あなたは最近、給料が上がったでしょう。それは、会社があなたを認めて、それだけ期待しているからだよ。給料カットとかそういう後ろ向きの貢献じゃなくて、しっかり給料をもらって、その分、いやそれ以上の、期待以上の貢献をすれば、それが最大の貢献ですよ。」
彼の表情は曇っていた。でも、彼の”思考回路”が把握できた俺は、彼が納得できそうな論理で続けてみた。
「でも、どうしても会社に金銭で貢献したいというなら、これはどう? あなたは来月から社有車をもらえることになっているよね? まだ車の注文をしていないけれど、その注文を2-3ヶ月遅らせて、その間は自分の車を使うっているのはどう? これなら数か月分のリース料を節約したという”貢献”になるし、誰の手間も煩わせないから。」
「その案、いいですね! それで行きましょう!」
彼は満足した様子で戻っていった。
それにしても、ドイツ人は日本人に比べて格段に論理的で、かつ即物主義的だなあと思う。
ドイツ人は、休暇を返上→休暇分を現金換算→その分会社が”節約”→その”節約分”を震災復興に会社が使う(かもしれない) などという4段階ものステップを組み立てて、それが”社会貢献だ”と認識する。
日本人が”休暇返上で社会貢献する”と表現する場合は、自分の休暇中にボランティアでごみ拾いに出かける、などという意味だろう。
ドイツ人の考えは、論理的には確かに金銭的な貢献、つまり具体的な貢献になっているように聞こえる。しかしもっと深く考えると、実はそうとは言えない。4段階もの間に効果が薄くなってしまうからだ。特に致命的なのは最後のステップの、”会社がそれを震災復興に使ってくれるかも”という部分。それは会社次第。つまり、一番重要な最後の実行の部分を、彼はコントロールできないポジションにいる。
そこまで間接的なものを”貢献”と呼びたいなら、むしろ単純にたっぷり稼いでたくさん国に税金を払えばいいのに、っと思う。社会保障もNGOへの援助も、基本は税金から出ているからだ。
一方、日本人の社会貢献は、必ずしも金銭的な対価(=自己犠牲)を伴っていない(欧米のいわゆる”ボランティア”とも異なる)。じゃあ、自主的な手伝いや老人介護、さらには祈祷などは”貢献度が低い”のかというと、むしろ逆であり、これほど貢献度が高いことはない。
俺の考えでは、社会貢献というのは被災者など助けを必要とする人からどれだけ心の感謝をされるかが全てであり、その多寡は金銭では測れないと思う。
特に、欧州人が何か災害が起きたときにすぐに走りがちな、ユニセフとか赤十字のような巨大機関の口座になにがしかの金銭を振り込むことは、害はないけれど、たいして真の役にはたたないと思う。こういった巨大国際機関は上層部が腐っているため、下にどれだけいいスタッフがたくさんいても全体として効率的に機能しないし、自分が振り込んだお金が何に使われるのかコントロールできないからだ。援助したつもりにはなれるけど・・・
本当に役に立つ寄付をしたいなら、日本で現地で活動している小規模な団体に直接寄付するのがいいと思う。
とにかく、それだけ日本の震災のことを真剣に考えてくれている社員がドイツにいるのはうれしかったし、心が暖まった。でも、「優しい言葉をかけたり、気遣いのメールを打ったり、犠牲者に祈ったりするだけでも、とっても大事な貢献なんだから、それで十分だよ」という俺の言葉は、残念ながら彼には理解できないようであった。
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